監督:Sarah Gavron
脚本:Abi Morgan
制作:Alison Owen, Faye Ward
音楽:Alexandre Desplat
出演:
Carey Mulligan (Maud Watts)
Helena Bonham Carter (Edith Ellyn)
Anne-Marie Duff (Violet Miller)
Natalie Press (Emily Davidson)
Meryl Streep (Emmeline Pankhurst)
Romola Garai (Alice Haughton)
Brendan Gleeson (Steed)
Ben Whishaw (Sonney Watts)
Samuel West (Benedict)
☆☆☆☆☆ / 5
(まだ日本公開前の映画です。これから見ようと思う人は、以下は読まない方が良いかも知れません。日本公開時のタイトルがどうなるかは知りません。)
イギリスにおける第一次世界大戦直前の女性参政権運動の様子を描いた映画。昨年(2015)の10月にイギリスで封切られた。日本でもおそらく今年か来年あたり公開されることと思う。題名の”Suffragette”は女性参政権運動家を表す言葉。昨年のイギリスでの公開前から是非見たいと思っていたが、日本公開を待ちきれず、アマゾンUKでDVDの予約が可能になったので、予約していたら先日発売になり、送られてきた。
私が期待していた通り、大いに楽しめたし、公平に見ても大変良い映画だと思う。歴史的事実を描きつつも、両性の平等と女性の政治参加を応援する、フェミニズムの視点に立つ映画であり、映画の最後には、各国で女性参政権が獲得された年を示し、例えばサウジアラビアのように未だに女性の政治・社会参加が限られている国々もある中、現在と未来へのメッセージを投げかけてもいる。
イギリスにおける婦人参政権運動の最も有名な指導者、エメリン・パンクハーストや、エプソン競馬場で国王ジョージ5世に直訴しようとして命を落としたエミリー・ディヴィッドソンなど実在した人物も出てくるが、基本的な物語は、架空の人物モード・ワッツという20歳代の若い洗濯婦で一児の母親である女性が、職場の同僚ヴァイオレット・ミラーに誘われて、徐々に主体性を持った運動家に育っていくプロセスを描きながら、1912年から13年にかけての婦人参政権運動を描く、この頃、彼女たちは、政界やマスコミ、そして多くの国民の関心を高めるために、投石、放火などの実力行使に訴えたが、そうした流れを史実にかなり忠実に描いているようだ。
イギリスの婦人参政権運動がパンクハースト家のような上流階級、あるいはミドルクラスだけでなく、モードのような女性を多く巻き込んでいたとしたら、この運動には階級闘争的な面もあったということだろうか。劣悪な洗濯工場で、体を壊したり、怪我をしたり、監督の男性の性暴力に苦しんだりしつつ、日々長時間労働を強いられていたモードやヴァイオレットの様子は、まさに囚人の暮らしであり、20世紀になっても、ディケンズの時代とさして変わらない状況が続いていたことがうかがえる。更に、モードは学校にもろくに行っておらず、十代前半から洗濯婦として働き始めていた。彼女の夫ソニーも同じ工場で働いており、2人には男の子がひとりいて、モードにとっては唯一生きる喜びになっていたが、そうしたささやかな幸福も、彼女が運動に加わることで大きな打撃を被ることになる。また、登場する運動家の中には下院議員の妻アリス・ホートン、妻の運動に理解ある夫と共に薬局を営むイーディスなどもいるが、色々な階級の女性たちが、女性の解放の為に協力して立ち上がっている様子を描こうという意図だろう。下院議員の妻であるアリスでさえ、その自由と体は夫の所有物である。伝わってくるメッセージは、参政権の獲得なくしては、あらゆる階層の女性を隷属状態から解放出来ないということだ。
警察の特殊部隊による活動家のリストアップと監視、警察官による暴力、尋問や懐柔策など、リアリティーがあり、今も昔も、そして洋の東西を問わず変わらないなと思った。70年安保前後の、新左翼の活動家達の経験も思い出した。
私はキャリー・マリガンの舞台や映画、テレビ・ドラマなどを見た記憶がなく、多分これが初めてだと思うが、非常に良い印象を持った。監督や制作者の意図もあると思うが、メークをほとんどつけてない(ように見える)顔で、ワーキングクラスの洗濯婦を自然に演じることが出来ていた。成長する運動家のたくましさも、そして、運動のなかで、妻として、母親として悩む様子も上手く演じていた。それ以外の女優陣も豪華。特に、私にとって主役以上に印象的だったのは、ヴァイオレットを演じたアンヌーマリー・ダフ。舞台で何度か見た女優だが、彼女の台詞と表情の雄弁さにはいつも感心する。ヘレナ・ボナム・カーター、ロモラ・ガライなど、脇役の女優陣も演技達者。カメオで、メリル・ストリープがエメリン・パンクハーストを演じたのも、はまり役だったと思う。
衣装、セット、そしてロンドンの通りの様子など、実に良く出来たピリオド・ドラマになっている。スタッフの熱意と徹底したリサーチがうかがえる。スターを目立たせて彼らの人気で客を集めようとする映画ではなく、飽くまで女性参政権運動家達を描きたいという制作者達の意図が感じられた。そうした作品だからこそ、女優達がより一層輝いて魅力的に見えた。
この映画では、戦闘的な女性参政権運動に焦点を当てているが、これ以外にも、ミリセント・フォーセットに率いられたサフラジスト(Suffragists)と呼ばれる穏健なグループもあり、議会へのロビー活動を通じての政治参加への模索も行われていた。自由党、労働党、労働運動や知識人達との関係など、女性参政権運動にも多様な顔があった。そうした点はこの映画では分からないが、2時間に満たない作品に大局的な視点を求めるのは無理な注文だろう。私も知らないことばかりなので、この映画をきっかけにして、もう少し映画の背景を学んで見たいと思った。先進国の中では、両性の平等に関して極めて保守的で、家父長的であり、「フェミニズム」という言葉がしばしば揶揄される日本においてこそ、特に若い女性達にこの映画を広く見て、考えて欲しいと思う。ちなみに、モードの夫役として、日本人女性にかなり人気のあるらしい(?)ベン・ウィショーも出演。彼が出ているという理由だけでこの映画を見る女性にも、映画のメッセージが心に響くと良いが。
なお、この映画に描かれた時代は第一次世界大戦直前。大戦後、戦争中の女性による社会の多様な職域での活躍が評価されて、1918年には人民代表法 (Representation of the People Act〉が制定され、30歳以上の女性の多く(地位や財産に制限あり)に選挙権が認められ、28年には21歳以上の全ての男女に選挙権が認められるようになった。(なお、この1918年に初めて男子普通選挙権も認められた。それまでは、戸主選挙権であったが、すべての21歳以上の成人男子に認められるようになった。)イギリスにおける女性解放の歴史上、暴力を含む実力行使を行ったサフラジェット達がどれだけの役割を果たしたかは議論が分かれそうだが、それを考える上でもこの映画は見る価値がある。忘れてならないのは、投票などの民主主義の最低限の権利は勿論、平和的なデモでさえも弾圧されていた時代だったということだ。つまり、アパルトヘイト時代の南アフリカにおける黒人達やANCの状況と似ている。そういう状態で、女性たちが延々と平和的手段だけで運動を続けることに意味があったのか疑問であり、実力行使は起こるべくして起こったと言える。
写真は、エメリン・パンクハースト(写真の出典はこちら)。
[2016年9月14日追記]
この映画、日本公開が決まったようですが、その邦題が『未来を花束にして』。宣伝方針としては、原作の政治色、フェミニズム色を出来るだけ消して、きれいな女優さんたちが、時代の荒波に揉まれつつも、けなげに頑張る昔の女性を演じました、というところでしょうか。日本社会の家父長的な性格を示すなんとも皮肉な題名となりました。
2016/03/16
2016/03/09
【イタリア映画】「ローマの教室で—我らの佳き日々—」 (2012年)
監督:ジョゼッペ・ピッチョーニ
出演:
マルゲリータ・ブイ (ジュリアーナ)
リッカルド・スカマルチョ (ジョバンニ)
ロベルト・ヘルリッカ (フィオリート)
☆☆☆☆ / 5
先日WOWOWで放送されたのを録画しておいて見た。気楽に楽しめる学園ドラマ。
ジュリアーナはローマの公立高校の校長。なかなか素敵な先生。彼女の高校へ新しい補助教員のジョバンニが着任する。金八先生みたいに肩に力は入ってない、自然体の若い男性だが、新任なので、それなりにやる気はある。彼を迎えるのはベテランの美術史(そんな授業があるのか、とちょっと驚く)の先生、フィオリート。この先生がまだ定年になってないの?と思うくらいのお爺さん。彼は哲学や文学にも詳しいようで大変なインテリだが、とてもシニカル。やる気のない生徒達に本気で教えても無駄、というような事をしばしばジョバンニに言う。彼自身、生きる希望を無くしているようで、惰性で仕事をしている。しかし、こんな教師だったら、思春期の難しい子供達をコントロールして、授業を成立させることは不可能だと思うんだけどね。
この学校は公立なので、色々と問題を抱えた子もいる。家庭に問題があり、また授業をしばしばさぼってかなり年長の男と付き合っているアンジェラ、母子家庭だが母親が出ていって帰ってこない男の子や、真面目な優等生だけど、自己破壊的なガールフレンドと付き合って大問題を起こす男の子など、色々いる。勉強だけじゃなく、これらの子供の家庭問題とか精神的問題の対応に奔走するジョバンニやジュリアーナの苦労と喜びを描く。
あまりシリアスじゃなく、大人も子供も、皆「まあ、どうにかなるさ」みたいな雰囲気を持ちつつ生きているところが良い。イタリア映画らしさかしらね。そして、かなり散文的で、特にエモーショナルなドラマにするわけでもなく、子供達のエピソードもあまり詳しく説明されないまま終わったりしているところも、かえって自然で良い。
突拍子もない、ピントの外れた老教師フィオリートは、突然大昔の卒業生から電話がかかってきて、大変な敬愛の言葉を受ける。この卒業生が非常に魅力的な大人の女性。2人は師弟のような、でも少しは恋人のような間になる。おかげで、立ち枯れた老木が突然蘇って、生きる喜びを感じ、授業でも熱弁をふるうようになるところが微笑ましい。私のような老人男性からみると、ありえないファンタジーだが、まあファンタジーとして楽しめた(^_^)。
魅力的な校長先生ジュリアーナは、母親に家出され、自分も病気になって入院する男の子を、まるで息子のように世話をする。実の母子のようになっていく2人の様子も心温まる。
アルバイトに出かけて、へとへとになって帰宅した後に見たのだが、とても癒やされた。
出演:
マルゲリータ・ブイ (ジュリアーナ)
リッカルド・スカマルチョ (ジョバンニ)
ロベルト・ヘルリッカ (フィオリート)
☆☆☆☆ / 5
先日WOWOWで放送されたのを録画しておいて見た。気楽に楽しめる学園ドラマ。
ジュリアーナはローマの公立高校の校長。なかなか素敵な先生。彼女の高校へ新しい補助教員のジョバンニが着任する。金八先生みたいに肩に力は入ってない、自然体の若い男性だが、新任なので、それなりにやる気はある。彼を迎えるのはベテランの美術史(そんな授業があるのか、とちょっと驚く)の先生、フィオリート。この先生がまだ定年になってないの?と思うくらいのお爺さん。彼は哲学や文学にも詳しいようで大変なインテリだが、とてもシニカル。やる気のない生徒達に本気で教えても無駄、というような事をしばしばジョバンニに言う。彼自身、生きる希望を無くしているようで、惰性で仕事をしている。しかし、こんな教師だったら、思春期の難しい子供達をコントロールして、授業を成立させることは不可能だと思うんだけどね。
この学校は公立なので、色々と問題を抱えた子もいる。家庭に問題があり、また授業をしばしばさぼってかなり年長の男と付き合っているアンジェラ、母子家庭だが母親が出ていって帰ってこない男の子や、真面目な優等生だけど、自己破壊的なガールフレンドと付き合って大問題を起こす男の子など、色々いる。勉強だけじゃなく、これらの子供の家庭問題とか精神的問題の対応に奔走するジョバンニやジュリアーナの苦労と喜びを描く。
あまりシリアスじゃなく、大人も子供も、皆「まあ、どうにかなるさ」みたいな雰囲気を持ちつつ生きているところが良い。イタリア映画らしさかしらね。そして、かなり散文的で、特にエモーショナルなドラマにするわけでもなく、子供達のエピソードもあまり詳しく説明されないまま終わったりしているところも、かえって自然で良い。
突拍子もない、ピントの外れた老教師フィオリートは、突然大昔の卒業生から電話がかかってきて、大変な敬愛の言葉を受ける。この卒業生が非常に魅力的な大人の女性。2人は師弟のような、でも少しは恋人のような間になる。おかげで、立ち枯れた老木が突然蘇って、生きる喜びを感じ、授業でも熱弁をふるうようになるところが微笑ましい。私のような老人男性からみると、ありえないファンタジーだが、まあファンタジーとして楽しめた(^_^)。
魅力的な校長先生ジュリアーナは、母親に家出され、自分も病気になって入院する男の子を、まるで息子のように世話をする。実の母子のようになっていく2人の様子も心温まる。
アルバイトに出かけて、へとへとになって帰宅した後に見たのだが、とても癒やされた。
2016/02/20
【講演】 杉山博昭 「ルネサンス期イタリアの聖史劇について」 の感想
(日時・会場)2016年2月19日 19-21時 早稲田大学戸山キャンパス
(講師)杉山博昭(早稲田大学高等研究所、助教)
(開催団体)観客発信メディアWL(ダブル)、来たるべき田楽研究会、共催
標記の一般向け講演会に行ってきた。質問時間を除いても100分くらい、様々な面にわたってフィレンツェの聖史劇のお話を堪能した。フランス中世劇については、ある程度本を読んだことがあるが、イタリアの聖史劇については、今まで何一つ知らなかったので、大変勉強になった。講師の杉山先生は修士で美術史を専攻されたそうで、特に、演劇と美術との関連に詳しい講演内容。沢山の絵画、ステージの再現模型の写真、イタリア現地の建築物の写真などを見せていただき、まるで美術史の授業を聞いているようだった。フラ・アンジェリコやボッティチェッリなど、イタリア絵画の巨匠の名作には、演劇の影響がかなりあるらしいと分かった。
講演内容について、講師の許可なしに具体的に詳しく書くのは、マナー違反になりかねないが、折角の貴重な機会だったので、イングランドの聖史劇との比較など、私の感想を中心に特に興味を引かれた点などメモしておきたい。
今回の演題は分かりやすいようにか、「・・・イタリアの・・・」となっているが、イタリアはひとつの独立国家ではなかったので、今回取り上げられたのはフィレンツェの聖史劇。それも15世紀、主に共和制時代に栄えたのだそうだ。というと、最近日本でも展覧会が相次いで開かれているボッティチェッリなど、イタリア・ルネサンス絵画の巨匠が活躍した時代と場所である。そうした絵画で描かれた天使とか聖書の人物や情景の多くが、演劇のシーンと非常に似通った面があるそうだ。美術と聖史劇の関連は、英米の聖史劇でもかなり研究されてきたが、何しろ宗教改革を経たイングランドの教会や大聖堂は白塗りされたり、削られたりして、ほとんど壁画が残っていない。イングランドの演劇と比較する場合、石膏(alabaster)の彫刻や写本の絵、ステンドグラス、そして、大陸諸国に残る絵画などが使われてきたが、イタリアはその点で、教会の壁画などとして圧倒的多数の絵画が残存しており、羨ましい。
フィレンツェでは、聖史劇が、野外だけでなく、聖堂の内部でも行われ、それらの聖堂の一部は今も現存するそうだ。聖堂内の身廊(入り口から中央までの一般信徒が入れる部分)と内陣(中央から、その奥の聖歌隊席や祭壇など、教会関係者のみ入れる部分)を仕切る壁(英語では’screen’とか’rood screen’)の高い部分で、演技が行われたらしい。こうした場所が残っているおかげで、上演の様子も具体的に再構成しやすいようだ。イングランドでは、教会の建物内部では、ラテン語の宗教儀式の一種である典礼劇は行われたが、英語やフランス語など俗語の劇が行われることはなかったようなので、違いに驚いた。
一方、野外の上演では、山車が使われたのは、イングランドと同様である。山車の行列は非常に重要な要素で、人々の人気を集めたスペクタクルだったようだ。これは日本のお祭りの山車とも共通する。但、講演を聴いた限りでは、実際の上演は町の中心部、ベッキオ宮殿の前のシニョリーア広場に山車が集結して並び、そこで行われたらしい。町の色々な場所で個別の山車が上演を行うというような事はなかったのだろうか? 日本のお祭りの山車は(例えば石川県小松市)、一同に集合して芸能を上演することもあるが、町の各所で踊りや歌舞伎を披露したりもする。イングランドのヨークでは、街頭の12の上演カ所(’stations’)が使われた、という15世紀初期の記録がある。山車がどのような形状をしていたと推測されるのか、動かすためにはどうしたのか(馬、人力?)など、聞いてみたかった。
俳優等について興味深かったのは、フィレンツェでも女性は登場しなかったと言うこと。女性役は少年が演じたようだ。この辺は、日本も含め、色々な国で共通する。そうした少年達は、性的な興味の対象にもなったとのこと。これも、イングランドや日本の女役と似た面がある。但、中世イングランドでは、地方では一部に女性が使われたという記述もあり、けして全国的に権力で女性の演技を禁じていたわけではなさそうである。その後、16世紀末から17世紀、商業演劇の時代になると、イングランドでも女性は絶対にステージには登れなくなる。その頃、フランスでは女優が使われていたそうだ。中世から17世紀末あたりまで、女優の存在や、女役の担い手について、西欧各国の事情を時系列でまとめて紹介すると面白そうだ。
フィレンツェの聖史劇は15世紀が最盛期で、その後廃れたようだ。プロテスタントに変わったイングランドよりも早いくらいだ。ギリシャ・ローマの古典劇の再興や活版印刷の隆盛などが関係があるようなことをちょっと言われていたが、時間が許せば廃れた理由も詳しく聞きたかった点。でも一度の講演では何もかもというわけには行かない。
他にも色々と面白い事があったが、上記の様に、あまり詳しく書くのはマナー違反になる怖れがあるので、このくらいにしておこう。杉山先生の研究については、ご自身が早稲田大学高等研究所のウェッブサイトで語っておられるので、関心のある方はそちらを参照してください。
更に詳しくは、若くして既に大冊の研究書を出版しておられるので、そちらを参照:『ルネッサンスの聖史劇』(中央公論新社、2013)
資料、スライド共に良くまとまっており、話も色々な興味深いエピソードを交えてお上手だった。才気煥発を絵に描いたような若手学者で、今後も大いに活躍されることと思う。私も教えられる事ばかりだった。
(追記) 今回、検索して始めて気づいたが、2014年7月に表象文化学会の企画パネルとして、「杉山博昭『ルネッサンスの聖史劇』を読む」という催しがあったそうで、その報告が表象文化学会の"REPRE" 22号に掲載されている。司会はフランス聖史劇研究の黒岩卓先生。学会のパネルであるから、それぞれの発言はかなり専門的で、私にもちょっと難しい。
(講師)杉山博昭(早稲田大学高等研究所、助教)
(開催団体)観客発信メディアWL(ダブル)、来たるべき田楽研究会、共催
標記の一般向け講演会に行ってきた。質問時間を除いても100分くらい、様々な面にわたってフィレンツェの聖史劇のお話を堪能した。フランス中世劇については、ある程度本を読んだことがあるが、イタリアの聖史劇については、今まで何一つ知らなかったので、大変勉強になった。講師の杉山先生は修士で美術史を専攻されたそうで、特に、演劇と美術との関連に詳しい講演内容。沢山の絵画、ステージの再現模型の写真、イタリア現地の建築物の写真などを見せていただき、まるで美術史の授業を聞いているようだった。フラ・アンジェリコやボッティチェッリなど、イタリア絵画の巨匠の名作には、演劇の影響がかなりあるらしいと分かった。
講演内容について、講師の許可なしに具体的に詳しく書くのは、マナー違反になりかねないが、折角の貴重な機会だったので、イングランドの聖史劇との比較など、私の感想を中心に特に興味を引かれた点などメモしておきたい。
今回の演題は分かりやすいようにか、「・・・イタリアの・・・」となっているが、イタリアはひとつの独立国家ではなかったので、今回取り上げられたのはフィレンツェの聖史劇。それも15世紀、主に共和制時代に栄えたのだそうだ。というと、最近日本でも展覧会が相次いで開かれているボッティチェッリなど、イタリア・ルネサンス絵画の巨匠が活躍した時代と場所である。そうした絵画で描かれた天使とか聖書の人物や情景の多くが、演劇のシーンと非常に似通った面があるそうだ。美術と聖史劇の関連は、英米の聖史劇でもかなり研究されてきたが、何しろ宗教改革を経たイングランドの教会や大聖堂は白塗りされたり、削られたりして、ほとんど壁画が残っていない。イングランドの演劇と比較する場合、石膏(alabaster)の彫刻や写本の絵、ステンドグラス、そして、大陸諸国に残る絵画などが使われてきたが、イタリアはその点で、教会の壁画などとして圧倒的多数の絵画が残存しており、羨ましい。
フィレンツェでは、聖史劇が、野外だけでなく、聖堂の内部でも行われ、それらの聖堂の一部は今も現存するそうだ。聖堂内の身廊(入り口から中央までの一般信徒が入れる部分)と内陣(中央から、その奥の聖歌隊席や祭壇など、教会関係者のみ入れる部分)を仕切る壁(英語では’screen’とか’rood screen’)の高い部分で、演技が行われたらしい。こうした場所が残っているおかげで、上演の様子も具体的に再構成しやすいようだ。イングランドでは、教会の建物内部では、ラテン語の宗教儀式の一種である典礼劇は行われたが、英語やフランス語など俗語の劇が行われることはなかったようなので、違いに驚いた。
一方、野外の上演では、山車が使われたのは、イングランドと同様である。山車の行列は非常に重要な要素で、人々の人気を集めたスペクタクルだったようだ。これは日本のお祭りの山車とも共通する。但、講演を聴いた限りでは、実際の上演は町の中心部、ベッキオ宮殿の前のシニョリーア広場に山車が集結して並び、そこで行われたらしい。町の色々な場所で個別の山車が上演を行うというような事はなかったのだろうか? 日本のお祭りの山車は(例えば石川県小松市)、一同に集合して芸能を上演することもあるが、町の各所で踊りや歌舞伎を披露したりもする。イングランドのヨークでは、街頭の12の上演カ所(’stations’)が使われた、という15世紀初期の記録がある。山車がどのような形状をしていたと推測されるのか、動かすためにはどうしたのか(馬、人力?)など、聞いてみたかった。
俳優等について興味深かったのは、フィレンツェでも女性は登場しなかったと言うこと。女性役は少年が演じたようだ。この辺は、日本も含め、色々な国で共通する。そうした少年達は、性的な興味の対象にもなったとのこと。これも、イングランドや日本の女役と似た面がある。但、中世イングランドでは、地方では一部に女性が使われたという記述もあり、けして全国的に権力で女性の演技を禁じていたわけではなさそうである。その後、16世紀末から17世紀、商業演劇の時代になると、イングランドでも女性は絶対にステージには登れなくなる。その頃、フランスでは女優が使われていたそうだ。中世から17世紀末あたりまで、女優の存在や、女役の担い手について、西欧各国の事情を時系列でまとめて紹介すると面白そうだ。
フィレンツェの聖史劇は15世紀が最盛期で、その後廃れたようだ。プロテスタントに変わったイングランドよりも早いくらいだ。ギリシャ・ローマの古典劇の再興や活版印刷の隆盛などが関係があるようなことをちょっと言われていたが、時間が許せば廃れた理由も詳しく聞きたかった点。でも一度の講演では何もかもというわけには行かない。
他にも色々と面白い事があったが、上記の様に、あまり詳しく書くのはマナー違反になる怖れがあるので、このくらいにしておこう。杉山先生の研究については、ご自身が早稲田大学高等研究所のウェッブサイトで語っておられるので、関心のある方はそちらを参照してください。
更に詳しくは、若くして既に大冊の研究書を出版しておられるので、そちらを参照:『ルネッサンスの聖史劇』(中央公論新社、2013)
資料、スライド共に良くまとまっており、話も色々な興味深いエピソードを交えてお上手だった。才気煥発を絵に描いたような若手学者で、今後も大いに活躍されることと思う。私も教えられる事ばかりだった。
(追記) 今回、検索して始めて気づいたが、2014年7月に表象文化学会の企画パネルとして、「杉山博昭『ルネッサンスの聖史劇』を読む」という催しがあったそうで、その報告が表象文化学会の"REPRE" 22号に掲載されている。司会はフランス聖史劇研究の黒岩卓先生。学会のパネルであるから、それぞれの発言はかなり専門的で、私にもちょっと難しい。
2016/02/13
「英国の夢、ラファエル前派展」(Bunkamura ザ・ミュージアム)
2月13日、Bunkamura のラファエル前派展に行ってきました。ラファエル前派の展覧会は人気も高いし、日本でもしばしば開かれてきたと思います。今回の特徴は、有名なテー
ト・ギャラリーなんかの作品と違い、リバプールの国立美術館からの作品が中心となっていること。従って、私は特にラファエル前派に詳しい訳ではありません
が、美術展で見たことがなく、また画集などでも覚えがない絵がほとんどでした。そういう意味では貴重な展覧会だし、行く価値があります。ただ、テートなん
かの絵と比べると、小品や、私にはあまり説得力の感じられない絵が多いかも・・・?まあ、日本まで持ってくることが出来る絵というと限られるでしょうからね。
展覧会の最初に、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵が何点かあるのですが、私はそれらが一番好きです。美しい!私は、ミレー、好きですね。今回、 自分で特に気づきました(^0^)。ミレーの描く女性や自然の美しさ、何とも言いがたいです。「春(リンゴの花咲く頃)」という作品が特に印象に残っていま す。私が特にミレーが好きなのは、題材が中世だったりしても、描かれているのは19世紀のイギリス人だからですね。ヴィクトリア朝の美人画です。着ている ブラウスなんか、今でもよく見るような花柄だったり。展示の最初に掛けてある絵「いにしえの夢—浅瀬を渡るイサンブラス卿」に描かれた騎士、イサンブラス卿も、顔だけ見るとよく見るような、孫を連れたイギリスの老紳士。その他のミレーの絵も、存分に楽しめました。展示の最初がクライマックス!
その他では、バーン=ジョーンズの「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」という、旧約聖書の雅歌から題材を取った大作があり、素晴らしい作品でした。同じく彼の「フラジオレットを吹く天使」はまるでルネサンスのテンペラ画。ボッティチェリみたいで、きれいです。
ウオーターハウスの「デカメロン」、チラシになっている絵ですが、これも物語性が感じられて良いですね。夢中で話に聞き入っている女性達の表情が素敵です。
美術館のサイトに詳しい解説あり。
展覧会の最初に、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵が何点かあるのですが、私はそれらが一番好きです。美しい!私は、ミレー、好きですね。今回、 自分で特に気づきました(^0^)。ミレーの描く女性や自然の美しさ、何とも言いがたいです。「春(リンゴの花咲く頃)」という作品が特に印象に残っていま す。私が特にミレーが好きなのは、題材が中世だったりしても、描かれているのは19世紀のイギリス人だからですね。ヴィクトリア朝の美人画です。着ている ブラウスなんか、今でもよく見るような花柄だったり。展示の最初に掛けてある絵「いにしえの夢—浅瀬を渡るイサンブラス卿」に描かれた騎士、イサンブラス卿も、顔だけ見るとよく見るような、孫を連れたイギリスの老紳士。その他のミレーの絵も、存分に楽しめました。展示の最初がクライマックス!
その他では、バーン=ジョーンズの「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」という、旧約聖書の雅歌から題材を取った大作があり、素晴らしい作品でした。同じく彼の「フラジオレットを吹く天使」はまるでルネサンスのテンペラ画。ボッティチェリみたいで、きれいです。
ウオーターハウスの「デカメロン」、チラシになっている絵ですが、これも物語性が感じられて良いですね。夢中で話に聞き入っている女性達の表情が素敵です。
美術館のサイトに詳しい解説あり。
2016/02/10
【テレビ番組】NHK ETV、ハートネットTV 「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」
ハートネットTV「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」 2016年2月9日午後8時放送
最近もETVの福祉番組「ハートネットTV」で、良い企画が続いている。2月9日は、死刑囚だが、2014年3月に刑の執行と拘禁が停止されて、釈放された袴田巌(はかまだ いわお)さんのドキュメントだった。30分の番組だし、福祉の番組であるから、冤罪が生まれた経緯などは触れられず、袴田さんが50年近い死刑囚としての拘禁生活の中で、如何に精神をむしばまれてしまったか、今、どうされているか、を淡々と映していた。
番組ホームページ
彼は、いつやって来るともしれぬ死刑におののきながら生きていたが、拘禁生活が20年以上経った頃から、妄想に襲われるようになり、現在に至るまで、支離滅裂な、常識では判断できない言葉を放ちつつ生きておられる。釈放の後、3ヶ月ほど精神病院に入院されたが、その後は自宅で暮らしている。穏やかな人で、お姉さんの暖かい愛情に包まれた、静かな毎日を過ごされているようだ。時々、勝手に出かけて、いつ帰ってくるか分からないところは認知症の人みたいでもあるが、必ず、お姉さんの待つ家に帰ってくる。饅頭や菓子パンが好きらしく、一万円札出して、菓子パンを一度に20個くらい買っているシーンが出てきて、微笑ましかった。そういうことなど、お姉さんは刑務所に入っていた間に出来なかったことを、なるべく彼の思うようにやらせたいと言われている。
このお姉さんが凄い。彼の事を思いつつ亡くなられた母親に代わって、自分が弟の母となって、独身を貫きつつ、彼の冤罪を晴らすために一生を費やし、今は、彼の病んだ心が徐々に快復していくのを待ち続けている。実の母親でもなかなか持てない深い愛情と、強い精神の持ち主である。
それにしても、袴田さんは釈放後も依然として死刑囚である。それは、検察が静岡地裁の判断に不服を唱えて、すぐに即時抗告を行ったからだ。つまり、袴田さんは、理論的には、再度収監され、死刑が執行される可能性させ残されているわけだ。但し、あの高齢で、しかも検察側の論拠は今やずたずたの有様らしいから、まずそういうことは起こらないだろうけれど。検察官達は本当に今でも袴田巌さんが有罪と思っているのだろうか?裁判とは真実を明るみに出して、罪を犯したことが疑いようのない人には罪を償わせ、そうでない人は釈放するべき仕組みであるはず。英語で言うと、"beyond reasonable doubt" ということになるはずだ。ところが、日本の司法では、一旦判断が下されると、検察も裁判所も決して過ちを認めないことが多いように見える。真実が問題ではなく、組織の権威の維持や裁判の勝ち負けを優先しているように見える。その発想は、今になっても、封建時代の「お上」による評定所のようだ。むしろ、捜査や起訴段階での間違いや不十分さを良く検証し、その結果を公開して、今後このようなことが起こらないよう社会の一員として考え努力することこそ、すぐれた組織のすべきことではないだろうか。自浄作用のある組織であると証明することが、市民の尊敬と信頼を生むと思うのだが。
私は近年、中世イングランドの裁判を勉強していて、それが、欠点だらけではあるが、如何に長い歴史と人々の経験の積み重ねから出来た制度か段々分かってきた。イングランドの裁判制度は、基本的に、市民が集まり知恵を出し合って判断するという民主主義の制度の一環として存在し、そのため、陪審員が最も重要な役割を担う。裁判長は法的にわかりにくい点を説明することはあっても、基本的な役割は裁判の司会役にしか過ぎない(その点で、日本の裁判員制度とは大きく異なる)。有罪、無罪を決めるのは別室で相談する市民達である。一方、日本では、長らく市民から遠いところで、職業裁判官、検察官、警察官などの専門家のみによって、犯罪者がベルトコンベヤー式に処理されてきたと言える。日本もやっと裁判員制度が出来て、少しは風通しが良くなることを願いたい。
この番組は、2月16日午後1時5分より再放送があります。
最近もETVの福祉番組「ハートネットTV」で、良い企画が続いている。2月9日は、死刑囚だが、2014年3月に刑の執行と拘禁が停止されて、釈放された袴田巌(はかまだ いわお)さんのドキュメントだった。30分の番組だし、福祉の番組であるから、冤罪が生まれた経緯などは触れられず、袴田さんが50年近い死刑囚としての拘禁生活の中で、如何に精神をむしばまれてしまったか、今、どうされているか、を淡々と映していた。
番組ホームページ
彼は、いつやって来るともしれぬ死刑におののきながら生きていたが、拘禁生活が20年以上経った頃から、妄想に襲われるようになり、現在に至るまで、支離滅裂な、常識では判断できない言葉を放ちつつ生きておられる。釈放の後、3ヶ月ほど精神病院に入院されたが、その後は自宅で暮らしている。穏やかな人で、お姉さんの暖かい愛情に包まれた、静かな毎日を過ごされているようだ。時々、勝手に出かけて、いつ帰ってくるか分からないところは認知症の人みたいでもあるが、必ず、お姉さんの待つ家に帰ってくる。饅頭や菓子パンが好きらしく、一万円札出して、菓子パンを一度に20個くらい買っているシーンが出てきて、微笑ましかった。そういうことなど、お姉さんは刑務所に入っていた間に出来なかったことを、なるべく彼の思うようにやらせたいと言われている。
このお姉さんが凄い。彼の事を思いつつ亡くなられた母親に代わって、自分が弟の母となって、独身を貫きつつ、彼の冤罪を晴らすために一生を費やし、今は、彼の病んだ心が徐々に快復していくのを待ち続けている。実の母親でもなかなか持てない深い愛情と、強い精神の持ち主である。
それにしても、袴田さんは釈放後も依然として死刑囚である。それは、検察が静岡地裁の判断に不服を唱えて、すぐに即時抗告を行ったからだ。つまり、袴田さんは、理論的には、再度収監され、死刑が執行される可能性させ残されているわけだ。但し、あの高齢で、しかも検察側の論拠は今やずたずたの有様らしいから、まずそういうことは起こらないだろうけれど。検察官達は本当に今でも袴田巌さんが有罪と思っているのだろうか?裁判とは真実を明るみに出して、罪を犯したことが疑いようのない人には罪を償わせ、そうでない人は釈放するべき仕組みであるはず。英語で言うと、"beyond reasonable doubt" ということになるはずだ。ところが、日本の司法では、一旦判断が下されると、検察も裁判所も決して過ちを認めないことが多いように見える。真実が問題ではなく、組織の権威の維持や裁判の勝ち負けを優先しているように見える。その発想は、今になっても、封建時代の「お上」による評定所のようだ。むしろ、捜査や起訴段階での間違いや不十分さを良く検証し、その結果を公開して、今後このようなことが起こらないよう社会の一員として考え努力することこそ、すぐれた組織のすべきことではないだろうか。自浄作用のある組織であると証明することが、市民の尊敬と信頼を生むと思うのだが。
私は近年、中世イングランドの裁判を勉強していて、それが、欠点だらけではあるが、如何に長い歴史と人々の経験の積み重ねから出来た制度か段々分かってきた。イングランドの裁判制度は、基本的に、市民が集まり知恵を出し合って判断するという民主主義の制度の一環として存在し、そのため、陪審員が最も重要な役割を担う。裁判長は法的にわかりにくい点を説明することはあっても、基本的な役割は裁判の司会役にしか過ぎない(その点で、日本の裁判員制度とは大きく異なる)。有罪、無罪を決めるのは別室で相談する市民達である。一方、日本では、長らく市民から遠いところで、職業裁判官、検察官、警察官などの専門家のみによって、犯罪者がベルトコンベヤー式に処理されてきたと言える。日本もやっと裁判員制度が出来て、少しは風通しが良くなることを願いたい。
この番組は、2月16日午後1時5分より再放送があります。
2016/02/06
裁判費用は誰が持つべきか: ディヴィド・ラスバンドさんの死とその裁判
以下、ガーディアン、テレグラフ、BBCなどで読んだ記事の紹介:
2010年に北イングランドのニューカッスル郊外のイースト・デントンで、警察官ディヴィド・ラスバンドさん(David Rathband)は、警察官を狙っている危険な犯罪者ラウール・モート(Raoul Moat}の潜む現場と知らず、銃も所持せずに出動していて、モートに銃で撃たれた。ラスバンドは大怪我を負い、失明した。それ以降、ラスバンドは色々なチャリティ活動などもして立ち直ったかに見えたが、内心は複雑で家庭生活は崩壊していったようで、妻とは別居した。そして、2012年についに自殺。彼の親族は、警察の上司が、そのような危険な現場であることをラスバンドに知らせなかったことで、彼は無警戒でパトカーに座っており、モートから銃撃されるという結果に至ったとして、警察上司の過失(negligence)があったと考え、裁判に訴えた。
昨日2月5日、ニューカッスルの高等法院(The High Court of Justice)は判決を下し、警察には過失がなかったとした。その結果、訴えを起こしたラスバンドの親族は、21日以内に、弁護士料金などの訴訟費用として少なくとも10万ポンド(約1700万円)を警察に賠償することを命じられた。仮払い(interim payment)とあるので、もしかしたら、最終的にはもっと高額になるのかもしれない。
ガーディアンの記事はこれ。
ラスバンド巡査の自殺の遠因となった最初の銃撃に関しては、私は詳しいことは分からないが、家族が警察上層部の管理者としての責任を追及するのは無理もないことと思える。しかし、家族が敗訴したからと言って、相手側の1700万円もの訴訟費用をその家族が支払うなんて、夫や兄弟を失った人達にとっては、あまりに酷で、無茶苦茶。それこそ、破産、そして鬱病や自殺さえ引き起こしかねない。まるで中世の裁判だ。実際、これは、中世以来、つまり中世のイギリス王室によって王座裁判所(King's Bench)とか、民事裁判所(The Court of Common Pleas)が成立し機能し始めた13世紀以来続く制度で、訴訟費用の支払いは、負けた側がするという原則に基づいている。一方、日本では、原告も被告も、それぞれが自分達の訴訟費用を払う。アメリカも同じらしい。
イギリスの制度だと、不当な目に遭っている側が勝訴した場合に限れば、訴訟費用も払って貰えるので大変良いが、今回のラスバンドさんの事件のような場合は、傷に塩を塗るようなことになる。お金の無い人は訴訟を諦めさせる仕組みに見えるが、現実には、訴訟費用の多くが、裁判の公的補助(Legal Aidと呼ばれる)、保険金、所属団体の援助(労組など)によって払われているという報告もあり、個人負担が少ない場合が多いようだ。でも今のキャメロン政権は、Legal Aidの予算の大幅削減を予定しており、一般市民の法へのアクセスが大変狭められる、とマスコミでも論議になっている。一方、日本の制度でも、勝っても負けても訴訟費用はかかるので、それはそれで、お金のない一般市民やNGOにとっては訴訟が起こしづらいという問題点は残る。上記のような制度だから、イギリスにおいては、訴訟コストの及ぼす影響が大きな問題になっており、詳細な検討が行われてきたようだ。むしろ日本において、訴訟コストの問題が真剣に討議されていないのが気になる。古いけれど(2003年)、イギリスの訴訟費用支払い制度がはらむ問題に関する日弁連の調査報告書がウェッブで見られる。
私の専門上、大昔の話になるが、中世や近代初期以来、イギリス王室の裁判は、基本的に訴訟に関わった人たちが費用を負担する。当時は、弁護料はもちろん、裁判官や書記の費用までも訴訟を起こした人達から徴収した料金でまかなった。つまり、国家による公的サービスでもあるが、国や地方の領主による営利事業としての一面もある。王室裁判所も色々あるだけでなく、教会や州、荘園も裁判所を持っているので、色々な裁判所が連立し、民事訴訟などを、まるでお客を奪い合う企業のように取り合う面もあった。15世紀の『パストン家書簡集』などを見ていると、同じ訴訟を同時に複数の裁判所で起こすということもしばしば起こった。そういうシステムだから、とにかく資金力を持った人が強い。まあ、これは時代や国を問わず、いつどこでも言えることではあるが。
一方で、今も昔も、小さな犯罪を扱う裁判の多くは、地元の有力者などといった非法律家が、治安判事(magistrate)として審理し、判決を出している(magistrate's courts)。少額の民事訴訟は各地方の州裁判所(county courts)で裁かれ、費用はあまりかからない。また、一般市民も、陪審員としてボランティアで参加している。近代初期くらいまでは、地方の裁判の多くは、謂わば地域の住民集会としても機能してきて、税の徴収とか道路の修理のような行政的な問題も話し合われた。地域の人々が集まって、色々な反社会的行為や、住民間のもめ事を、互いに意見を出し合い、解決する仕組みとも言える。だから、費用も、裁判にかけてもらう側で負担するという発想が出てきた面もある。
裁判というのは、長い歴史をかけて徐々に作られた制度。常識的に見ても色々な問題があり、先進国の間でさえ、国によって大きく違うものだな、とつくづく思う。それにしても、ラスバンドさんの遺族は巨額の訴訟費用を払わされることになるのだろうか。
2010年に北イングランドのニューカッスル郊外のイースト・デントンで、警察官ディヴィド・ラスバンドさん(David Rathband)は、警察官を狙っている危険な犯罪者ラウール・モート(Raoul Moat}の潜む現場と知らず、銃も所持せずに出動していて、モートに銃で撃たれた。ラスバンドは大怪我を負い、失明した。それ以降、ラスバンドは色々なチャリティ活動などもして立ち直ったかに見えたが、内心は複雑で家庭生活は崩壊していったようで、妻とは別居した。そして、2012年についに自殺。彼の親族は、警察の上司が、そのような危険な現場であることをラスバンドに知らせなかったことで、彼は無警戒でパトカーに座っており、モートから銃撃されるという結果に至ったとして、警察上司の過失(negligence)があったと考え、裁判に訴えた。
昨日2月5日、ニューカッスルの高等法院(The High Court of Justice)は判決を下し、警察には過失がなかったとした。その結果、訴えを起こしたラスバンドの親族は、21日以内に、弁護士料金などの訴訟費用として少なくとも10万ポンド(約1700万円)を警察に賠償することを命じられた。仮払い(interim payment)とあるので、もしかしたら、最終的にはもっと高額になるのかもしれない。
ガーディアンの記事はこれ。
ラスバンド巡査の自殺の遠因となった最初の銃撃に関しては、私は詳しいことは分からないが、家族が警察上層部の管理者としての責任を追及するのは無理もないことと思える。しかし、家族が敗訴したからと言って、相手側の1700万円もの訴訟費用をその家族が支払うなんて、夫や兄弟を失った人達にとっては、あまりに酷で、無茶苦茶。それこそ、破産、そして鬱病や自殺さえ引き起こしかねない。まるで中世の裁判だ。実際、これは、中世以来、つまり中世のイギリス王室によって王座裁判所(King's Bench)とか、民事裁判所(The Court of Common Pleas)が成立し機能し始めた13世紀以来続く制度で、訴訟費用の支払いは、負けた側がするという原則に基づいている。一方、日本では、原告も被告も、それぞれが自分達の訴訟費用を払う。アメリカも同じらしい。
イギリスの制度だと、不当な目に遭っている側が勝訴した場合に限れば、訴訟費用も払って貰えるので大変良いが、今回のラスバンドさんの事件のような場合は、傷に塩を塗るようなことになる。お金の無い人は訴訟を諦めさせる仕組みに見えるが、現実には、訴訟費用の多くが、裁判の公的補助(Legal Aidと呼ばれる)、保険金、所属団体の援助(労組など)によって払われているという報告もあり、個人負担が少ない場合が多いようだ。でも今のキャメロン政権は、Legal Aidの予算の大幅削減を予定しており、一般市民の法へのアクセスが大変狭められる、とマスコミでも論議になっている。一方、日本の制度でも、勝っても負けても訴訟費用はかかるので、それはそれで、お金のない一般市民やNGOにとっては訴訟が起こしづらいという問題点は残る。上記のような制度だから、イギリスにおいては、訴訟コストの及ぼす影響が大きな問題になっており、詳細な検討が行われてきたようだ。むしろ日本において、訴訟コストの問題が真剣に討議されていないのが気になる。古いけれど(2003年)、イギリスの訴訟費用支払い制度がはらむ問題に関する日弁連の調査報告書がウェッブで見られる。
私の専門上、大昔の話になるが、中世や近代初期以来、イギリス王室の裁判は、基本的に訴訟に関わった人たちが費用を負担する。当時は、弁護料はもちろん、裁判官や書記の費用までも訴訟を起こした人達から徴収した料金でまかなった。つまり、国家による公的サービスでもあるが、国や地方の領主による営利事業としての一面もある。王室裁判所も色々あるだけでなく、教会や州、荘園も裁判所を持っているので、色々な裁判所が連立し、民事訴訟などを、まるでお客を奪い合う企業のように取り合う面もあった。15世紀の『パストン家書簡集』などを見ていると、同じ訴訟を同時に複数の裁判所で起こすということもしばしば起こった。そういうシステムだから、とにかく資金力を持った人が強い。まあ、これは時代や国を問わず、いつどこでも言えることではあるが。
一方で、今も昔も、小さな犯罪を扱う裁判の多くは、地元の有力者などといった非法律家が、治安判事(magistrate)として審理し、判決を出している(magistrate's courts)。少額の民事訴訟は各地方の州裁判所(county courts)で裁かれ、費用はあまりかからない。また、一般市民も、陪審員としてボランティアで参加している。近代初期くらいまでは、地方の裁判の多くは、謂わば地域の住民集会としても機能してきて、税の徴収とか道路の修理のような行政的な問題も話し合われた。地域の人々が集まって、色々な反社会的行為や、住民間のもめ事を、互いに意見を出し合い、解決する仕組みとも言える。だから、費用も、裁判にかけてもらう側で負担するという発想が出てきた面もある。
裁判というのは、長い歴史をかけて徐々に作られた制度。常識的に見ても色々な問題があり、先進国の間でさえ、国によって大きく違うものだな、とつくづく思う。それにしても、ラスバンドさんの遺族は巨額の訴訟費用を払わされることになるのだろうか。
2016/01/28
森有正の先生、リュシアン・フーレ
哲学者でフランス文学者、森有正の『バビロンの流れのほとりにて』(筑摩書房、1968)は私の学生時代の愛読書だった。一気に通読するような本ではないが、かけていたカバーがすり切れるくらいたびたび開き、あちこち気の向くままに繰り返し読んだと思う。その後、ずっと読んでなかったが、ふと今日手にとってパラパラめくってみた。
それで再び思い出したのは、森が個人教授を受け、大きな影響をこうむったのが、古仏語学者として多くの業績を残したリュシアン・フーレ (Lucien Foulet, 1873-1958) だったことだ。森の別の本、『遙かなノートル・ダム』(講談社文芸文庫、2012、初版1983)、の159-160頁にこのフーレ先生のことがやや詳しく書いてある。非常に几帳面な人だったようで、授業の時間にも、5分早くても5分遅刻してもいけなかったそうである。森はこの先生の自宅でモンテーニュの『エッセー』をテキストにして教わっていたらしい。その個人教授の様子が幾分うかがえる次のような一節がある:
先生からは字句の定義について深い教えを受けたと思っています。この場合、定義というのは、辞書の中に出ている定義ではなく、その言葉によって現実に指されている事物や観念や精神なのです。いいかえれば、唯一の実在である経験の現実態そのものなのです。先生はいろいろな例をとったり、時には御自分で身振りや妙な発声までして、それを伝えようとして下さいました。(160頁)
このリュシアン・フーレという学者、ウィキペディア仏語版も英語版でも説明がない。ドイツ語版では割合短い解説があるのだが、残念ながら私はドイツ語が読めない。それで、他に彼の事を知る手段がないかネット検索で探したところ、ロマンス諸語の学術誌、Romance Philology 13巻1号(1959年)108-110頁に割合詳しい死亡記事があったので読んでみた。彼は中世フランス語文学作品『狐物語』 (Roman de Renard) の研究、クレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァル』 (Perceval) の現代語訳、そして、中世フランス語の統語論や語彙に関する多くの著書や研究論文、書誌を残しているようだ。基本的に、中世の文学作品の正確な理解を助けるテキストの確立と編集、そしてそこに現れる文法事項を精密に研究する伝統的なフィロロジスト(文献学者)であったようだ。
彼はどうして森を自宅で教えていたのだろうか。フーレはグラン・ゼコールの中でも名門の高等師範学校や高等研究院で学んだ後、数年、リセで教えていたが、アメリカ、ペンシルベニア州の名門私立女子大、ブリンマー・カレッジ(Brian Mawr College)で1900年から1909年まで教えた。1909年にはカリフォルニア大学バークレー校に移り、1912年まで勤め、仏文科に大きな足跡を残した。しかし、1912年、彼は健康問題のためにバークレーを辞職し、パリへ戻った。その後はずっとフリーランスの学者、英語で言うところの independent scholar として生涯を過ごしつつ、変わらぬ情熱を研究に注ぎ続けたらしい。ということで、森有正のような学者を個人的に授業料を取って教えていたのだろう。森にフーレを紹介したのは渡邉一夫だったそうだ(『遙かなノートル・ダム』277頁)。
森有正は1948年に東京大学の仏語仏文学の助教授に就任。1950年、39才で、先輩教授の渡邉一夫などに促されて、なかば嫌々パリに研究留学した。しかし、パリで彼は彼の地でしか出来ない勉強に目覚め、1952年、41才にして、東大助教授という日本の人文研究者としては最も権威ある仕事を辞職してパリに留まった。その後彼は55年まで翻訳や通訳などの仕事をして生計を立てたようだ。55年にソルボンヌ大学付属東洋語学校の教師となり、日本語日本文学を教え始める。そうした森だったから、健康問題でバークリーの名誉ある仕事を失ってフランスに帰ってからも、自宅で営々と研究に励むフーレには共感し、深い敬意を払っていたのだろう。
これに関連した文章として、森は『バビロンの流れのほとりにて』に収められている「流れのほとりにて」というタイトルの文章で、芸術や思想の追及が、一方で展覧会とかコンクール、他方で大学教授の職といった世俗的野心と結びついていることを嘆き、自分がそういう生き方と袂を分かって、パリにおいて思想を深める決意を表明している:
この文を森は1957年、留学して7年目、46歳の時に書いている。私は森の哲学的な、あるいは比較文化的な思索などにそれ程関心があるわけではない。それでも今も昔も彼の書き物に引かれるのは、この世俗を忘れて学問に専心しようとする純粋さ故だろう。その意味で、リュシアン・フーレにも興味を持った。
最後に、リュシアン・フーレの主要な著作を挙げておきたい。
A Bibliography of Medieval French Literature for College Libraries, with Albert Schinz and Georges A. Underwood, (New Haven, 1915)
Petite syntaxe de l'ancien français (Paris 1919)
Le Roman de Renard (Paris, 1914)
(edited) La Chastelaine de vergi : poeme du xiiie siecle (Paris, 1921)
(translated) Chrétien de Troyes, Perceval le gallois ou le conte du graal (Paris 1947)
亡くなられて半世紀以上経つというのに、今でも新本や古書で手に入る本ばかりだから凄い。Petite syntaxe は以前名前は聞いたことがある。多分、古仏語学習者には良く知られたロング・セラーなのだろう。専門外ではあるが、そのうちどれか一冊買い求めて覗いてみたいと思っている。
森有正は1948年に東京大学の仏語仏文学の助教授に就任。1950年、39才で、先輩教授の渡邉一夫などに促されて、なかば嫌々パリに研究留学した。しかし、パリで彼は彼の地でしか出来ない勉強に目覚め、1952年、41才にして、東大助教授という日本の人文研究者としては最も権威ある仕事を辞職してパリに留まった。その後彼は55年まで翻訳や通訳などの仕事をして生計を立てたようだ。55年にソルボンヌ大学付属東洋語学校の教師となり、日本語日本文学を教え始める。そうした森だったから、健康問題でバークリーの名誉ある仕事を失ってフランスに帰ってからも、自宅で営々と研究に励むフーレには共感し、深い敬意を払っていたのだろう。
これに関連した文章として、森は『バビロンの流れのほとりにて』に収められている「流れのほとりにて」というタイトルの文章で、芸術や思想の追及が、一方で展覧会とかコンクール、他方で大学教授の職といった世俗的野心と結びついていることを嘆き、自分がそういう生き方と袂を分かって、パリにおいて思想を深める決意を表明している:
・・・芸術とは、一箇の人間が、人間として深まり、普遍の影を映すようになったそのものだ。だからそれは、本質的に、展覧会や、コンセールや、コンクールや、フェスティヴァルや、雑誌などとは何の関係もないものだ。芸術は今日、何とゆがめられつくしていることだろう。元来名誉とは何の関係もないものが、むしろ旧い名が死んで本当の、無記名の名の誕生にまで延びてゆくはずのものが、顚倒され、旧い名と名誉とのための道具となってしまっている。スポーツや博覧会と本質的に同じものにされてしまっている。思想は大学教授とは何の関係もないものだ。それが大学教授になるために研究され、論文にまとめられている。自分としては、おそらく人間そのものの唯一の道と思われるものがこのようになっていることに、嘆かないでいられようか。しかし僕は、そういうことから離れて、自分の道を行きつくすまで歩いて行かなければならない。この嘆きをも忘れなければならない。自分の道を進むことが唯一絶対のことなのだから。また時の流れは一度しか経過しないのだから。そして経過した時は絶対にとりかえせないのだから。(176-77頁)
この文を森は1957年、留学して7年目、46歳の時に書いている。私は森の哲学的な、あるいは比較文化的な思索などにそれ程関心があるわけではない。それでも今も昔も彼の書き物に引かれるのは、この世俗を忘れて学問に専心しようとする純粋さ故だろう。その意味で、リュシアン・フーレにも興味を持った。
最後に、リュシアン・フーレの主要な著作を挙げておきたい。
A Bibliography of Medieval French Literature for College Libraries, with Albert Schinz and Georges A. Underwood, (New Haven, 1915)
Petite syntaxe de l'ancien français (Paris 1919)
Le Roman de Renard (Paris, 1914)
(edited) La Chastelaine de vergi : poeme du xiiie siecle (Paris, 1921)
(translated) Chrétien de Troyes, Perceval le gallois ou le conte du graal (Paris 1947)
亡くなられて半世紀以上経つというのに、今でも新本や古書で手に入る本ばかりだから凄い。Petite syntaxe は以前名前は聞いたことがある。多分、古仏語学習者には良く知られたロング・セラーなのだろう。専門外ではあるが、そのうちどれか一冊買い求めて覗いてみたいと思っている。
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