She was a prymerole, a piggesnye,
For any lord to leggen in his bedde,
Or yet to any good yeman to wedde. (A ll. 3268-70)
(彼女はサクラソウ、豚の目草[のようにかわいい女」
どんなお殿様がベッドにはべらしたとしても、
あるいは、どんな立派なお家来衆が妻にしたとしてもね。)
出典は、ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の第2番目の話「粉屋の話」に出てくるアリスーンという大工の若妻の描写の一部で、この若い女性の魅力を表現する言葉の一つだ。彼女の魅力を讃えるにあたって、薔薇みたいな貴族的な花ではなく、'prymrole' (primrose、恐らくサクラソウ?)と'piggesnye'という庶民的な花を例えとして使っているところが上手い。更に、'piggesnye'(豚の目草)は、文字通り、pig's eyeという二つの単語から出来た花の名前で、庶民的であるのに加えて、妙に下品な響きであり、それがこの浮気で油断も隙もならない若奥さんにぴったりの形容となっている。
さて、その'piggesnye'だが、もう死語になっている古い単語であり、私はチョーサーくらいにしか出てこないのかとばかり早合点していたら、OEDによると、これが結構使われているんだなあ。チョーサーのこの箇所を筆頭にして、「特別に可愛がり、愛している少女や女性につける愛称」として16世紀のニコラス・ユーダルやジョン・スケルトン、17世紀の劇作家フィリップ・マッシンジャー、19世紀の桂冠詩人ロバート・サウジー等々が使い、更に、古めかしい言い方としてではあろうが、20世紀のタイムズ紙とかイブニング・スタンダード紙にも登場する。おそらく、チョーサーの「粉屋の話」のアリスーンがあんまり印象的だったんで、そしてこのお話がよく中学高校の教科書の一部として使われたり、大学の英文学の授業で論じられたりするので、多くの一般読者の記憶にもこの単語が残像を留めているのだろう。OEDではチョーサーが初出だし、チョーサーの造語である可能性も考えられる。
更にOEDを見ていくと、2番目の意味として、「特に可愛い、愛された男、少年」の意味でも16世紀から20世紀まで使用例がある。可愛い人を指すのに、男も女もないですな。
ちなみにThe Riverside Chaucerの注によると、'prymerole'も 'piggesnye'も実際にどの植物を指すのか、厳密には確定されていないそうである。前者は、'primrose'に近い綴りだから、サクラソウだろうと言うことになったのだろうか。一読者としては、これらの言葉の語感が与える印象だけで十分だろう。
私はこの「粉屋の話」が大好き!特に、このアリスーンと言う若奥さんは、私のもっとも好きな中世英文学のヒロインかもしれない。元気いっぱいで、いたずらっぽくて、享楽的で、男たちを簡単に手玉に取るずるがしこさ!まぶしい、まぶしい!チョーサーも彼女には相当力を入れて書いていて、彼女の容貌や性質の紹介などに40行弱(ll. 3233-70)も費やしている。それは丁度、中世アーサー王ロマンスなどで、作者が貴婦人の美貌を褒め称える長い描写などを思わせる。つまり、アリスーンは庶民のスーパー・ヒロインなんだと思う。「サクラソウとか、豚の目草のように可愛い奥さん」だ。
このアリスーンと同じくらい私の大好きなヒロインは、同じく『カンタベリー物語』の、5回も結婚して男たちをきりきり舞いさせてきた悪女(?)であるバースの女房。やっぱり、庶民のおかみさんのチャンピオンだ。彼女の名前もアリスーン、またはアリス(アリスという名前はアリスーンの短縮形である。またアリスーンは、今の読み方ではアリソン)。というと、チョーサーの頭の中では「粉屋の話」のアリスーンとの関係や如何に?、もしかして2人は同一人物?、という非常に面白い疑問が出てくるのだが・・・。ちなみにチョーサーがこういう話を構想していた14世紀後半、老いて耄碌した(?)エドワード3世を手玉にとり、彼の愛人として権力を操って、宮廷人たちだけでなくイングランド中から嫌われたのが、アリス・ペラーズという女性だったのもちょっと気になるところ。まあ、アリスーンとか、アリスという名前はマリーのようにありふれた名前ではあるんですけどね。
ついでに言うと、やはり『カンタベリー物語』の「商人の話」で出てくる若奥さんのマイ('May',現代語風に読めばメイ)も、最初は男運が悪くて散々な目に遭うが、そのうち老いぼれた旦那を出し抜いてたくましく人生を楽しむ。合わせて読み比べたいヒロインだ。
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