2018/01/13

中世のダラムの公現祭

Records of Early English Drama Northeast (REED Northeast)の新年のブログ、「中世のダラムの公現祭」(Epiphanytide in Medieval Durham)を紹介したい。

ダラムにおける中世の公現祭(the Feast of the Epiphany)のエンターテインメントの記録について。執筆者はMark Chambersさん。公現祭(顕現祭とも言う)は東方の三博士 (the Magi) が幼子イエスを訪れ、贈り物を贈った日を祝う。普通、1月6日、つまり十二夜が当てられており、クリスマスの祝祭の一部となっていて、シェイクスピアの『十二夜』でのようににぎやかな祝宴なども行われた。ダラムの小修道院(a priory)では、院長がお客を招いて宴席を設け、そこでミンストレル(ministrallus)などの芸人に演奏(演技?)をさせたようだ。当時のベネディクト会修道院が、今我々が考える「修道院」のイメージとは異なり、かなり世俗的だったことがうかがえる。

このブログにある幾つかの短い引用では、こうしたエンタティナーに関して、ラテン語でhistorioとか、roter(弦楽器 rote の演奏者)などの語が使われている。こういう一次資料は、芸人に対する支払いを記した出納簿などであるから、金額は分かっても、演奏や演技の内容はほとんど分からないことが多く、残念だ。恐らく、楽器演奏や歌謡が中心と思われるが、こういう用語の背後には物語を語ったり、アクロバット、そして演劇やそれに類似した芸能を行う人々もいただろう。

この項目では、更に、公現祭の直ぐ後の月曜日に行われたPlow Mondayの祝祭にも触れている。これはその年の農業の繁栄を祈るお祭りの一種と考えられ、しばしば音楽、仮装(異性装など)行列、ダンス、寸劇などを伴う。グループを作って、犂を引きながら家々を回り、寄付を集めたりする(日本で相当する行事としては、獅子舞などの新年の芸能にいくらか似ている)。中世末から近代初期にかけて特に盛んだったが、産業革命期に衰退した。しかし、20世紀になって各地で復活し、今も行われている(ウィキペディア英語版の解説)。

イギリスの中世劇の研究者は、中世から近代初期に行われたこうした芸能の研究をかなり行っているが、日本ではほとんど関心を持たれていないのは残念。

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