2019/08/19

【小説の感想】Andrew Taylor, "The Ashes of London" (HarperCollins, 2016)

Andrew Taylor, "The Ashes of London"
(HarperCollins, 2016)  482 pages.

☆☆☆☆ / 5

ロンドンの書店の棚で見て買った本。アンドリュー・テイラーという作家は始めて読むが、クライム・フィクションの分野では既に大変よく知られたベストセラー作家のようだ。これは私の好きな歴史・犯罪小説のジャンルに入る。

小説の舞台は1666年9月のロンドン大火とそれに続く日々。旧市街の多くが焼け落ち、当時からロンドンのランドマークだったセント・ポール寺院もほぼ消失した大災害。またこの時期は1642年から始まった清教徒革命と共和国時代という怒濤の時代が終わりを告げて、1660年に王政復古がなされ、処刑された前王の息子チャールズ2世がその治世を始めて間もない時代であり、イングランドは政治的にも不安定な時期でもあった。

ストーリーはふたりの男女を軸にして進行する。ひとりはジェイムズ・マーウッド(James Marwood)。急進派清教徒グループ、「第5の君主主義者」(The Fifth Monarchists)に属していた印刷職人の父を持ち、王政復古によって非常に難しい処世を迫られており、また認知症で世話が必要になっている父を守りつつ、何とか生活の糧を得ようと奔走している。その彼が大火災の最中に偶然出会い、炎から命を救ったのが若い女性のキャサリン・ラベット(Catherine Lovett)だった。しかしその時は大火災の混乱の中であり、2人はすぐにはぐれてしまう。彼女もまた「第5の君主主義者」の中心人物、トマス・ラベットを父に持ち、その父は前王の殺害者のひとりとしてチャールズ2世に追われる身で、どこにいるか分からない。彼女自身は叔父夫婦の世話になっているが、非常に居心地の悪い思いをしている。

マーウッドは勇ましいスパイや刑事でも、頭の切れる弁護士や学者でもなく、政治や宗教の嵐の中で何とかサバイバルしようとする庶民に過ぎない。しかし彼の父が過激派であったことに加え、偶然王殺し(a regicide)として追われる大罪人ラベットの娘を救ってしまったために役人達の手足として無理矢理利用されることになり、ラベット父娘の行く方を追うことになる。一方、まだ子供のような心を持ったキャサリン・ラベットは、政治にも宗教にも関心はなく、ただ自分の好きな建築デザインの夢を見、紙に建物の図を書いて過ごしている。しかし世話になっていた叔父オルダーリーの息子、つまり彼女のいとこのエドワードからレイプされ、彼女はエドワードの片目をナイフで刺して逃亡する。ジェイムズ・マーウッドもキャサリン・ラベットも、静かに生きたいと願うにもかかわらず、運命の歯車の回るままに、半ば焼け野が原になったロンドンや、廃墟と化したセント・ポール寺院を走り回る。

ジェイムズ・マーウッドは一人称の語りで登場し、彼自身は純朴な若者だが、それほど個性的な人物ではなく、むしろ他の登場人物を結びつける狂言回しみたいな役回りだ。一方、キャサリンはこの時代の女性には考えられないことだったとは思うが、ある叔母の影響で建築に興味を持ち、夢中で建物の絵を描いている間は辛い事も時間も忘れるというユニークな人物。しかし、レイプにあったり、父による宗教の押しつけに苦しんだりして、自分に合った生き方なんて夢のまた夢だ。しかし、彼女の才能に気づいた建築家で、クリストファー・レンの同僚ヘイクスビー(Hakesby)によってしばし匿われる。

歴史的に大変興味深い時代設定と、大火災の後のロンドン、特にセント・ボール寺院の廃墟を舞台にして、歴史小説としての濃密な雰囲気が楽しめる。マーウッドはその役柄から、やや個性に乏しいが、キャサリンやその他の登場人物は良く書き分けられている。特にジェイムズの父が認知症で、昔の過激派活動家時代の事を口走ったり、突然行く方が分からなくなったりして息子が冷や汗をかく場面は、現代の作家らしい工夫で、大変効果的。

エンターティンメント小説として手慣れた筆致だと感じたので、作者アンドリュー・テイラーの他の作品もそのうち読んで見よう。和訳の出ている小説もあるようだ。

(注) "The Fifth Monarchists"という急進派清教徒のグループは作者が作り上げたフィクションではなく、実際に存在し、革命期のイングランドで大きな勢力を持っていた。リンクをはった英語版ウィキペディアに解説がある。「第5の君主主義者」という和名は私が勝手に訳した名称なので、歴史の本では別の名前になっているかもしれない。この名称は元々旧約聖書のダニエル書におけるネブカドネザル王の夢で出てくる過去の王国に由来しており、それらの王国は、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマと解釈された。そして第5の君主主義者達は、次の王国として、この地上にイエスが治める千年王国がやって来ると信じていた。第5の君主主義者の有力メンバー、トマス・ハリソン(Thomas Harrison)やジョン・ケイリュー(John Carew)は共和国政府がチャールズ1世に死刑宣告をした裁判の裁判官(comissioners)であり、王政復古の後は王殺し(regicides)としてむごたらしい手段(絞首刑の後、馬で引きずられ、手足に綱をつけて4つに引き裂かれる)で処刑された。こうした実在した人々がトマス・ラベットのモデルなのだろう。

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