2020/02/01

【近況】"A False Beginner"(偽りの初心者)

前回のブログで書いたように、2〜3月に予定されていた市民講座の担当がなくなりました。秋口以来、その準備で四苦八苦していたのですが、幸か不幸か、いや不幸中の幸いで、その苦労は突然消え失せました。まあ、自分にとって多少の勉強にはなったので、無駄ではなかったと思っています。

折しも非常勤の試験も終わり、非常勤講師としては春休み期間に入りました。3月末が締切の論文集に寄稿することになっているので、その準備をしなければなりません。執筆者が出版費用を分担する自費出版の論文集です。お世話になった先生方の退官記念論文集なので、喜んで参加したいと思っています。但、上手く書けるかどうかは分かりません。

それに加え、何か継続的に勉強したいと思い、しばらく手を付けずにいたラテン語の勉強を始めました。私がラテン語の勉強を再開するのは、何度目か分からない位です。中世西欧の文学や歴史の研究にとってラテン語の知識は必須です。ラテン語は、昔の日本で言えば漢文みたいな言語で、中世・近代初期の西欧において書き言葉としては圧倒的な重要性を保っていました。主な記録や学術書、文学作品はラテン語で書かれていましたから、例え中世の英語やイタリア語、フランス語(これらを「近代語」と呼びます)などの文学を研究するにしても、その時代の知的遺産の多くがラテン語で残されていたり、そうした近代語の作品の原作や類話がラテン語だったりするので、ラテン語の知識は欠かせないのです。ところが、私の語学の能力は本当に貧弱で、英語と中世の英語だけで精一杯で、ラテン語まで手が届いていません。

ラテン語を最初にやったのは日本の大学院に在籍していた時でした。東京大学の故森安達也先生が非常勤で出講されていて、学部のラテン語の授業を担当されており、私も出席し、週一回一年間、一応の基本的な文法を学習しました。(森安先生の想い出については以前にブログで書きました。)それからも、大学や語学学校、市民講座などで色々な講座を受講して、ラテン語の授業を受けました(日仏学院、上智大学エクステンション・センター、ケント大学、朝日カルチャーセンター、アテネ・フランセ等々)。また、自分自身でも色々な文法書や初級読本を読んだり、練習問題をやったりして独習してきました。我が家にはその挫折したり読みかけたりしたラテン語関連の本が沢山ありましたが、去年ほとんど処分しました。そうして勉強をしている間はかなり記憶を新たにするのですが、勤務先の役職や退職後は博士論文の勉強など、他のことで忙しくなると数年間何もやらない時間が続き、すっかり元に戻ってしまい、基本文法さえ忘れてしまいます。また、多くのラテン語の重要文献には現代英語訳があるので、研究上は、読めなくても何とかなります。もちろんある程度読めれば、大変なプラスにはなるのですが・・・・。

と言う感じで、私のラテン語はいつも初級文法を終わったくらいで止まったままで、それを見ると自分の頭の悪さを思い出させる劣等感の源みたいになってしまいました。こういう過去に特定言語の学習をやっていて、一応簡単な知識はあるが、初級で留まっている人を、語学教育学の用語では、"a false beginner"(偽りの初心者)と言います。私は永遠にラテン語の "a false beginner" のようです。

今まで私はラテン語を何とか研究に役立てたい、という想いで勉強していました。しかし、今回はもうそういう目標はなく、難しいパズルを楽しむような気持ちでやっています。簡単な読本の文章を詳しい注と英語訳を参照しつつ読んでいます。ほぼすべての単語を辞書で引き、文法書をしょっちゅうめくって語形変化などを確かめるので、一度にほんの数行進むのにも一苦労です。でも、結果として何かを得るとか、ラテン語の読解力が向上するのを目ざすのではなくて、一語一語を解読する作業自体を楽しむように心がけています。今は頭も鈍くなってよく働かないし、いつ体調を壊して勉強出来なくなるか分かりません。だからこそ、何か結果を求めるのではなくて、今やっている勉強を楽しまなくては、と思います。三日坊主になりませんように(^_^)。

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