2017/08/23

ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』田内志文訳(角川文庫 2014)

標記の翻訳書を読んだ。翻訳者は、プロの翻訳家で、私の知人の田内志文氏。

ゴシック小説の古典の一つであり、19世紀英文学を論ずる上で欠かせない作品だろうと思うが、英米文学研究者でも専門外だと読んでない人も多いと思う。映画などの二次的作品ばかり有名になった名作だ。私も、英語原作ではないが、田内氏が訳されたので、今回初めて読んだ。実際に読んでみると、たたみかける文体で一気に読ませる力を持っていて、時代を超えて読み継がれる魅力を確認できた。ヨーロッパ文化の境界で起こった異文化接触を扱った作品として見ると、当時のイギリス人の世界観などが伺え、大変興味深かった。日記や手紙、録音記録、電報、そして契約書のようなビジネス文書などの多様な形式のテキストとそれらのテキストの作り手である複数の語り手の視点を組みあせてフィクションを作る作家の手腕にも驚かされる。

私のように、名前だけ知っていて今まで原作は読んでなかった方には是非一読して欲しい作品だ。読みやすい新訳で、訳語がこなれており、学者の翻訳にしばしばありがちな堅さや不器用さがなく、プロの翻訳家が批判を恐れず訳した意味は十分あったと思う。1000円以下で購入できるし、一般読者がこの古典に触れるのには良い訳だろう。

アマゾンのレビューで2,3の評者が指摘しているように、訳注の少なさ、訳語の不統一など、いくつか問題点はあると思う。こうした一般向けの文庫では多数の訳注で読書の流れを阻害するのは良くないだろうが、私も、もう少し固有名詞やキリスト教用語などに注が欲しい気がした。翻訳者の田内氏はプロの翻訳者で、英文学研究者ではないので、水声社版の丹治、新妻訳と専門内容で比べるのはあまりに気の毒(どちらも日本でのイギリス近代小説研究を代表する著名な学者、丹治先生は元日本英文学会会長)。強いて言えば、KADOKAWAくらいの会社ならば、古典の新訳については、専門家の監修者・解説者をつけて、研究面でプロの翻訳家では足りない細かい点を補うなどの配慮が欲しいと思った。

2017/08/20

NHK ETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」

録画しておいたETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」を見た。

長崎の浦上にはカトリック教徒のコミュニティーと被差別部落があった。彼らは長崎市民でありながら、原爆被害者として、そして部落の出身者は更に被差別部落民として二重の差別を受け、沈黙を強いられ、浦上を離れていった。原爆で家族を殺され、後遺症に苦しんだ者同士でありながら、他の市民は部落の人々を差別した。更に、散り散りになった人たちは、移住した先でまた原爆被害者として差別に合う。また、浦上のキリスト教徒と被差別部落は、江戸時代において、権力に利用されて対立を迫られた。幕末には被差別部落民の協力によって多数の隠れキリシタンが弾圧されるという事件もあった。元々あった差別や敵愾心が、原爆によって固定化された面もあったのかもしれない。原爆の恐ろしさが、広島の人々によってより強く伝えられ、原爆ドームが原爆の恐ろしさのシンボルになった陰に、長崎の多くの被爆者の長い間の沈黙があったのかもしれず、それには歴史的背景があったのだろう。

NHK BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」

お盆前後の時期、実家に帰省したり、海外にいたりで、自宅でじっくり戦争に関するテレビ番組を見ることが少なかったが、今年は色々見ている。録画しておいたNHK BS1 のドキュメンタリー「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」で、浦上天主堂廃墟の破壊について見た。

当時の市長とカトリック教会長崎大司教が、多くの市民や議会の反対を押し切って破壊を決断したこと以外、はっきりしたことは分からないという結論。番組は、遺族や教会関係者などの証言を中心に、過去の痕跡を消して復興を進めようとした二人に同情的な終わり方となっている。

西洋文明の象徴であるカテドラルを、これまた西洋文明が生んだ究極の凶器、原爆が破壊したのであるから、この廃墟が残っていたら、広島の原爆ドームを超える痛みを与えるシンボルとなっただろう。それ故にまた、もう見たくないという人も多かっただろうと推測する。東北大震災の震災遺構にも似た事情は色々とあっただろう。しかし、今となってみれば、破壊されたのは、歴史の教訓の継承にとっては大きな損失と思えた。

2017/08/19

ピーター・ミルワード先生、ご逝去

上智大学名誉教授で、シェイクスピアの研究者、ピーター・ミルワード先生が8月16日に亡くなられた。

今50〜70歳代の英文科出身者ならほぼ皆ミルワード先生の教科書や啓蒙書にお世話になっているだろう。戦後日本の英語・英文学の教育と研究に計り知れない影響を与えた方。イエズス会神父だからその文学観は極めてキリスト教的。その点で、文学作品の解釈では相いれない方も、英語英文学やキリスト教文化の基礎を学ぶ上で、ミルワード先生に教わったことは大きいと思う。同僚であった安西徹雄先生や多くの教え子を通じ、研究だけではなく、直接間接に日本のシェイクスピアの上演にも影響を与えたと思う。あれ以上はないほどの温厚な人柄で、誰からも愛され、尊敬された。いつも暖かい笑いを浮かべられ、下手なところが可笑しいユーモアで聞く人を笑わせた。世俗の方ではないが、古き良き時代の「イングリッシュ・ジェントルマン」の理想を体現されていた先生。埃の付いた眼鏡をくしゃくしゃのハンカチで拭く姿が印象的。私は個人的にも大変お世話になり、深く感謝している。

安らかに眠ってください。

2017/07/01

ラテン語学習(山下太郎先生の記事を読んで)

在野の学者で、私塾でラテン語の講習会を開いている山下太郎先生がキケローの作品を使ったラテン語の独習用リーダーを出した:
山下太郎『ラテン語を読む キケロー「スキーピオーの夢」』(ペレ出版、2017)

私はまだ手に取ったことがないが、文法を一通り学んだ人が、その後、文法知識を固めるために読むように工夫された、とても懇切丁寧な教科書のようだ。その出版にあたり、ラテン語の学習法、そして古典語を学習する意味を自分のウェッブページに書いておられる。

山下先生が特に強調されているのは、ラテン語学習で挫折しないためには、基本文法を完全に覚えてしまおうと思わず、分からない時には調べれば良い、ということ。ラテン語の文法は英語やフランス語以上に複雑な語形変化があり、一気に覚えようとすると嫌になるので、ちゃんと記憶出来てなくともその度に活用表など見て調べれば良いというのである。

古代・中世の歴史資料や思想、ラテン文芸を研究するレベルのラテン語能力を習得するのは確かに非常に困難だ。おそらく大学・大学院で20歳代の大半をラテン語を読むのに費やすくらいの覚悟でないと難しいだろう。言葉としてのラテン語に親しみ、翻訳と比べながら、数行のラテン語の文章を読むくらいなら、大抵の人は2〜3年、途切れずに努力すれば出来る。ラテン語で大事なのは、そしてその他の語学でもそうだが、山下先生が書いているように、とにかくやめてしまわず、少しずつでも続けることだとつくづく思う。とは言え、フルタイムで働いていたら非常に難しい。しかし、忙しい時期も、週1回でも辞書と活用表を見ながら何行か読む、とか、電車の中などで、既に読んで色々と書き込みのある文章を読み返しつつ、動詞や名詞の活用や基本単語を思い出すと言った努力は出来るかも知れない。この教科書は、全ての単語に語釈を付し、訳文も付いているようなので、電車の中とか、仕事の合間など、辞書もない環境でも自習できるようだ。私自身もそうした努力をしていたら、20代から30代にかけてやったかなりの努力を生かせただろうになあ。その後、ほとんどやめてしまい、文法や基本語など、かなり忘れてしまった。

とは言え、私は3ヶ月程前からラテン語の学習を再開した。それ以来相当な時間を使ったので、活用などはかなり思い出したし、辞書を引くのもそれ程苦にならなくなった。研究に役立つとか、スラスラ読めるというレベルに達する時が来るとは思えないが、退職した身の上であるので、趣味、及び、ぼけ防止として、今度は途中で止めず少しずつ続けるつもり。とにかく挫折しないことが大事、と思っている。

2017/06/29

一般読者向けのチョーサーの入門書が欲しい

6月28日、昔働いていた学校でチョーサーについて1回だけゲスト講義をしたので、先週から、その時に配布するプリントなどを作っていた。その一部として、学生用の参考書リストを作っていたのだが、私の知る限りでは、長い間、日本語で読める手軽なチョーサーの入門書が出てない。新書では、桝井迪夫『チョーサーの世界』(岩波新書、1976)と斎藤勇『カンタベリ物語―中世人の滑稽・卑俗・悔悛 』(中公新書、1984)があるのみで、どちらも、古本では手に入るが、絶版。海老久人、朝倉文市訳のデレク・ブルーア先生の啓蒙書(『チョーサーの世界―詩人と歩く中世』[八坂書房、2010])はあるが、英米の読者に向けて書かれたものだし、翻訳では523頁もあるハードカバーで、値段も6200円以上。図書館で借りるにしても、一般の読者や学生には敷居が高く、私も持っていない。

専門書も、チョーサーの文学に関してまとまって書かれたものは、依然として、斎藤勇、河崎征俊両先生の数冊が主なもの。個別の問題を専門的に扱った論文集(例えばチョーサー研究会の本)などはあるが、学生のレポートや卒論に役立てるには、その学生がすでに授業や上記の入門書などで勉強している必要がある。シェイクスピアでは沢山あるような、一般読者のための総合的な解説書が望まれる。誰か書いてくれないかな。

もしかしたら、私が知らないだけで、一般読者向きの新しい入門書が出ているのかもしれないが・・・。もし適当な本が出てないのなら、個人で書かれても良いし、チョーサー学者はまだ結構いらっしゃるのだから、何人かで手分けして書かれても良いと思う。

2017/06/28

学会のSNSによる情報発信

私が会費を払っていて、イギリスに事務局を置く The Medieval English Drama Society からメールが来た。この学会に置かれている the social media committee つまりフェイスブックやツイッター等の担当の係では、学会にふさわしいイメージを募集しているので、何か適当なイメージ(例えば演劇や祝祭関連の写本画像など)があれば、推薦して欲しい、とのこと。担当者3人は大学院生と講師になったばかりの若い先生達。学会に関連のある情報をツッイターやフェイスブックで頻繁に発信してくれる。ツィッターは自分がアカウントを持ってなくても、インターネット接続が出来れば誰でも見られる。毎年春の学会の間は、その写真や発表の紹介もどんどん発信されて、イギリスに行けなくても、幾らかはその雰囲気が味わえる。中世イギリス演劇に関して、国内で情報交換する人がほとんどいない私にとっては、刺激になって大変ありがたい存在。また、どの学会に加入/出席しようか、と考えている人にとっても、学会のホームページ以上に、最新情報が沢山見られ、有益だ。イギリスにおいて以前より中世劇の研究が盛んになりつつあるように思うが、こうした活動により、院生や学部生にすそ野を広げているのも、発展の一因ではないか。

英米の学会では、ツィッター、ないしフェイスブックが、以前のメーリングリストの代わりをするようになってきている。勿論今でもSNSを使わない会員も沢山いるので、メーリングリストも必要だが、メールよりもより頻繁に更新され、かつ会員との双方向のコミュニケーションが計りやすいのが良い。日本でも若い学者を中心に個人のツィッター使用は大変多いが、個人としての日常生活のつぶやきが多くて学会のお知らせとは違うので、やはり学会単位でツィッターによる情報発信があると良いと思う。

The Medieval English Drama Society のツイッター:
https://twitter.com/MedEngTheatre

日本の中世英語・英文学関連では、「国際アーサー王学会日本支部」の公式ツィッターがある。西洋中世学会は、「西洋中世学会若手セミナー」というアカウントでのツィッターがある。

「国際アーサー王学会日本支部」
https://twitter.com/inter_arthur_jp

「西洋中世学会若手セミナー」
https://twitter.com/jsmes_wakate