2011/07/24

Friedrich Schiller, "Luise Miller" (Donmar Warehouse, 2011.7.23)

ドイツの『ロミオとジュリエット』
Friedrich Schiller, "Luise Miller"

Donmar Warehouse公演
観劇日:2011.7.23  19:30-22:00
劇場:Donmar Warehouse

演出:Michael Grandage
脚本:Friedrich Schiller
翻案:Miike Poulton
セット:Peter McKintosh
照明:Paule Constable
音楽・音響:Adam Cork
衣装:Mary Charlton

出演:
Paul Higgins (Miller, a court musician)
Finty Williams (Frau Miller, Miller's wife)
Felicity Jones (Luise Miller, their daughter, age 16)
Max Bennett (Ferdinand, Chancellor's son)
Ben Daniels (Chancellor)
John Light (Wurm, Chancellor's secretary)
Alex Kingston (Lady Milford, Prince's mistress)
David Dawson (Hofmarschall von Kalb, a courtier)
Lloyd Everitt (Chancellor's page)
Alexander Pritchett (Lady Milford's servant)

☆☆☆☆ / 5

フリードリッヒ・シラー(1759-1805)はシェイクスピアに通じていたようだ。この"Luise Miller"(1784年初演)は、大人の社会の陰謀と邪悪に踏みつぶされる純粋な若者の死を悲劇的に描き、『ロミオとジュリエット』に共通する点が大きい。更に、『オセロー』に似た面もあり、シェイクスピアの影響が色濃い。

私はオペラを全く見ないのだが、この戯曲は、ヴェルディがオペラにしていて、そちらのほうが原作よりも有名なくらいなのかもしれない。しかし、この原作も素晴らしく、上演前に脚本を7割くらい読んで行ったのだが、本で読むだけでもかなり引き込まれた。今回の翻訳はNorthern Broadsideが上演した"The Canterbury Tales"、RSCの"Morte D'Arthur"他、かなりの戯曲の翻訳・翻案をしているMike Paultonによる。"new version"とあるのだが、原作をどのくらい忠実に訳しているか、あるいはかなりの翻案か分からない。しかし、言葉は特に現代的にはしておらず、コスチュームやセットも歴史的なものであり、18世紀の古典のオーソドックスな上演だった。

ドイツのある国のChancellor(ドイツでは首相だろう)にFerdinandという若い息子がおり、彼が音楽を習っていた楽士Millerの素朴な娘Luise Millerと身分違いの恋に陥る。そうと知らぬ父親のChancellorは、息子をその国のプリンスの愛人で亡命イギリス人貴族のLady Milfordと結婚させ、自分の地位を強化しようと計画し、息子に命令する。Ferdinandは激しく反発し、父が権力を得るためにした不正な行いをプリンスに通報すると父を脅すので、Chancellorも一旦は引き下がらざるを得ない。Chancellorの腹心で、イアーゴウのように腹黒いWurmは、Chancellorに悪知恵を吹き込み、Luise Millerの両親を投獄。彼らを解放する条件として、FerdinandがLuiseの変心を信じるような手紙をLuise自身に書かせようとする(オセローにとってのハンカチみたいなもの)。オセローさながら、嫉妬に狂ったFerdinandは破滅への道を一気に進む・・・。

新聞の劇評でも指摘されているが、聖者が神を愛するように純粋にFerdinandを愛したLuiseを信じ切れないFerdinandと、インテリジェントでありながらもWurmの策謀に乗せられてしまうLuiseの、後半のキャラクター作りにやや無理がある気がして、そこが原作の欠点と言えば欠点だろうか。しかし、逆に言えば、16歳のLuiseはもとより、二人の未熟さ、若さ故の弱さとも思える。『ロミオとジュリエット』でもそうだが、決定的なところで飛躍や偶然が重なった方が悲劇性が増す場合もあり、私はそう違和感は感じなかった。

「大人の腐敗した世界と純粋な二人の愛」の対立に並行する相として、宮廷や貴族社会と新興中産階級の人々の対立があるだろう。楽士のMillerは、最初、娘がChancellorの息子と付き合っていることに戦々恐々として、娘を思いとどまらせようとするが、彼の妻は意気軒昂に娘の愛を支持する。そのMillerもChancellorが娘を侮辱する言葉を吐いた時には、地位や身の安全を顧みず、敢然と抗弁をし、まるで若いマリアを守ろうと腐心するヨセフのようである。また、LuiseもLady Milfordとの対話で、貧しく慎ましい庶民の彼女自身のほうが、豊かで権力はあっても、その権力の奴隷でもあるLady Milfordよりもましであることを断言し、Lady Milfordもそれに同意せざるを得ない。18世紀も終わりに近づいた時代の劇だけあり、近代市民社会の成熟、彼らの自由への渇望と既成の支配階級への反発を強く感じさせる劇であり、Miller一家がそれを鮮やかに体現していた。

ほとんどセットのない小さな劇場でのシンプルで骨太な劇を支えるのは俳優達の名演。特にBen Danielsの台詞回しと存在感は圧倒的。悪役にしてはちょっと格好良すぎるくらいかもしれない。Paul Higginsの父MillerとLuiseのFelicity Jonesの二人は、庶民の素朴さとその裏に潜むたくましさを良く出していた。Higginsの方言もそうした面を強めていて効果的(彼はスコットランド出身)。屈折した悪賢さを見せるWurmのJohn Light、きざで軽薄な宮廷人Hofmarshall von Kalb役のDavid Dawson、そして権力と運命によって滅ぼされた、謂わばLuiseのシャドウとも言えるLady MilfordのAlex Kingstonなど、ひとつひとつの役柄が印象的であった。

学部生時代の私の恩師のひとりで、私の人生を変えたT先生が、「文学作品には、人生のある年代、特に若い時に読まないといけないものがあるんです」と言っていたのを思い出す。私はこのような青春の悲劇に心の底から揺さぶられるには年を取りすぎてしまったが、それでも大変感動的だった。この上演を、主人公達に近い10代後半や20代で見られる方は大変幸せだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿