2011/10/05

典礼劇の行われた場所は?

9月30日のポストで触れた片山幹生先生のブログ「フランス中世演劇史のまとめ」のポストをひとつずつ読んでいるが、大変勉強になる。今のところラテン典礼劇について書かれているが、私は20歳代前半に典礼劇を少し読んだだけで、その後は新しい知識を仕入れてないので、素人も同然だ(従って、この後の文に間違いもあると思うので、コメント欄でご教示願いたい)。これらの劇はラテン語で書かれているので、狭い意味での英文学(English Literature)とは言えない。しかし、イングランドで書かれたり上演されたものについては、イングランドの文学(Literature of Medieval England)の一部であると言える。更に、演劇史の一環としては、中世演劇の始まりであり、大変重要なジャンルだから、近代語の中世劇を学んでいる者にとっても、いや西欧の演劇史を学ぶ者はある程度知っておかないといけない。

片山さん(と呼ばせていただきます)は、典礼劇の観衆や上演場所、言語について比較的詳しく解説されていて、学んだり考えさせられたりする点が多い。

典礼劇は10世紀に始まり、11-13世紀頃に最盛期であったと思われる。Chuch Dramaなんて言われたりするが、上演場所は、実際は修道会所属の大修道院やカテドラルがほとんどだろう。例外的な場合はあるかもしれないが、小さな教区教会などで一般の信徒によって行われたとは思えない。というのは、これはラテン語であり、また、劇の多くはそれなりの準備とか(大きな道具類とかセットを必要とする大規模な作品もある)、知識を要するだろうから。基本的には聖職者集団が、神をたたえる儀式の一環として上演した、という性格だろう。

片山さんは、このポストで、最初の「聖墓訪問の劇」(Visitatio Sepulcri / Quem Quaeritis plays)のような典礼劇は、基本的に一般信徒が入れない奥の内陣(chacel)で行われていて、彼らが入れる身廊(nave、教会の入り口から内陣の前まで)は使われなかったのではないか、という可能性を示唆しておられる。学者の意見も分かれる点のようで、興味深い。

カテドラル建築の一例として、カンタベリー大聖堂の例を挙げてみたい(このポスト末尾の写真も参照)。内陣と身廊の間にはスクリーン(screen)などと呼ばれる壁や仕切りがある。カンタベリー大聖堂では、もの凄く大きな門のようなものである。その門を通して中を「のぞき見る」ことは可能であるが、それほど多くの人が出来るわけではない。更に、スクリーンの手前は階段になっており、数段のステップがあるので、のぞき見る人もそう多くはないと思われる。観劇に適したスペースとは言えず、あくまでのぞき見る感じだろう。

そのスクリーンをくぐって内陣に入ると、そこは「教会の中の教会」のようなスペースである。入ったところは両側に階段状のベンチが3列程度しつらえてあり、まるで左右2面からステージを挟む小劇場のようになっている。ここが聖歌隊席(choir, quire)である。中央の廊下状になったスペースはかなり狭い(2〜3メートル)が、しかし、簡単な演劇を上演するには適したスペースではある。内陣を更に奥に行くと、今は木の椅子が置いてある割合広いスペースがあり、その向こうには6段程度の階段があって更に一段高くなっており、そして祭壇(altar)が置かれている。この祭壇前、階段下のスペースも上演に利用できそうである。

片山さんは疑問を呈しておられるが、彼のあげておられる学者のベルナール・フェーブル*によると(以下は片山さんのブログの引用)、
フェーブルは「聖墓訪問」の劇が教会の広大な内部空間をダイナミックに使って上演されたと記述している。彼は典礼劇の専門家ではないので、この部分の記述については文章中で挙げられている他、カール・ヤングやギュスタヴ・コエンなどによる先行研究に参照したに違いない。三人の聖女は教会の東にある内陣から、平信徒が座る身廊を通過し、教会の入口のそばの西側の部分に至る広大な空間を移動したとある。
身廊から内陣まで、教会の空間を一杯に利用した場合、かなりスクリーンが邪魔になり、行われているパフォーマンスがよく見えない時が多いだろう。内陣の聖歌隊席、あるいはその向こうのスペースを使うか、最初から身廊の非常に広い空間を使うか、どちらか一方のほうが合理的に見える。

しかし、そもそも聖史劇の多くは儀式、あるいは儀式の一部であると考えると、「観客/観衆」とか、「観衆がどこにいたか」を考える必要は無いかもしれない。参加者にとって都合が良いスペースであれば良いわけである。また、見ている人々がいるとして、彼らが一箇所にとどまっていたかどうかも怪しく、上演が進むに従って、演技者と共に動くことも考えられる。仮に身廊で演技が始まり、内陣へと移動したとすると、見ている人も演技者の後に続いてぞろぞろと歩いた、謂わば行進したとも考えられる。行列形式の動き(processinal movement)は中世の演劇の特色のひとつである。後の英語の聖史劇の一部が山車の上で行われ、観衆の多くは見たい山車を求めて動いたと推測されるように、中世の演劇は、上演スペースも観衆のいる場所も移動可能である。観衆と上演スペースの「固定化」は、「観客」を一箇所に閉じ込めて入場料を取り、それ以外の人を閉め出すことになった近代劇の産物である。

片山さんが書かれているように、「聖墓訪問の劇」などのシンプルな典礼劇は内陣のみの上演が適していると思われるし、大規模な劇の場合は、内陣のみでは無理なように思えるので、身廊か、あるいは、内陣と身廊の双方が使われたかも知れない。しかし、「聖墓訪問の劇」でも内陣以外のスペースが使われなかったとは言えないだろう。但、以上は何の裏付けもない素人考えであり、今後勉強してみたい課題である。

典礼劇の観衆等については、ポストを改めて書きたい。また、このポストも今後色々と考えて、適宜加筆訂正します。

*片山さんが言及しておられるフェーブルの文献とは、Bernard Faivre, 'La Piété et la fête (des origines à 1548)', Le Théâtre en France du Moyen Âge à nos jour, ed. Jacqueline de Jomaron (Paris: Armand Colin, 1992), pp. 17-101.

カンタベリー大聖堂のスクリーン:



















ここのスクリーンは建物内にある強大な門のようだ。入り口は大きい。

カンタベリー大聖堂のスクリーンから見た内陣(chancel):



















手前が聖歌隊席で、奥に見えるのが祭壇。

カンタベリー大聖堂のスクリーンから見た身廊(nave):



















突き当たりに西の出入り口。

ヨーク大聖堂の身廊部分から見たスクリーン:



















カンタベリー大聖堂のスクリーンとは全く違い、低い屏風のような作り。入り口は大変狭い。

上のスクリーンを拡大した写真:



















ヨーク大聖堂のスクリーンから見た内陣、特に聖歌隊席(choir)付近:

2 件のコメント:

  1. 非常に興味深く読みました。上演の場が教会内にいくつも設けられていて、観客が移動していた可能性なども考えられますね。後の並列舞台の原型のような。
    他にもまだ可能性が想定できそうです。
    中世の典礼については豊富な研究がありそうですし、典礼史の専門家が聖史劇を読めばさらに明らかになることはまだ多そうな気がします。
    私は典礼劇のテクストは演劇史の本に引用されているものしか読んだことがありません。いろんな上演可能性を頭に置いた上で、テクストを読み込んでいけば、はっきりするところはあると思うのですけれど。。。本当はそうしなければならないのだけれど、それをやっていると前に進めなくなってしまうので。

    典礼劇に限らず中世のラテン語演劇については研究があまり多くないので、新しい知見を提供できる可能性が多い分野だと思っているのですけれど。いずれ、いつの日か、ちゃんと読んでみたいです。


    大聖堂内部の写真も興味深いものでした。カンタベリー大聖堂、ヨーク大聖堂にはいまでもあのようにどっしりとしたスクリーンが残っているのですね。

    返信削除
  2. caminさん、コメントありがとうございます。そちらの中世フランス演劇史ブログ、とても楽しく、かつ勉強になります。今後も楽しみです。フランスはイギリス以上にたくさんのテキストが残っているので、近代語のパートになってからは一層楽しみですね。

    典礼劇は、まだ「演劇」か「儀式」か区別がつかない段階ですから、かえっておもしろく、想像力をそそります。特に、上演スペース、上演者、そして観客の問題が重要ですね。私もこれまで勉強を怠ってきたのですが、英語の劇の勉強のついでに、おいおい、論文や参考書をのぞいてみたいと思います。Yoshi

    返信削除