シェイクスピアの晩年の苦悶を通じて芸術家と
実人生の関係を探る
"Bingo: Scenes of Money and Death"
劇場:Young Vic
製作:Chichester Festival Theatre and Young Vic
観劇日・時間:2012.3.27 19:30-22:00 (1 interval)
原作者:Edward Bond
演出:Angus Jackson
デザイン:Robert Innes Hopkins
音響:Ian Dickinson for Autograph
音楽:Stephen Warbeck
照明:Tim Mitchell
配役:
William Shakespeare: Patrick Stewart
Judith (his daughter): Catherine Cusack
Ben Johnson: Richard McCabe
Old Man: John McEnery
Son: Alex Price
Young Woman: Michelle Tate
Old Woman: Ellie Haddington
Willaim Combe: Matthew Marsh
☆☆☆☆/5
不思議な劇だ。私の英語力不足以上に、内容理解の上でもよく分からない部分もかなりあった。しかし見終わった時に圧倒的なインパクトを感じた上演だった。リビューも大きく評価が割れているようで、一般の観客の印象も様々だろう。
シェイクスピアは晩年ロンドンからストラットフォードに戻って、あの巨大な(町で2番目に大きなお屋敷だそうだ)New Placeと呼ばれる家で、悠々自適の生活をした、と私は想像していた。しかし、作者エドワード・ボンドは、当時の地方都市の厳しい時代背景を、芸術家としてのバードが一家庭人として長年留守にしていた自分の家族に溶け込めない様子と組み合わせ、彼が苦悩の晩年を送ったと解釈している(ちょっと夏目漱石みだいだな)。その想像の当否は分からないが、この作品の一番の要点は、芸術家と現実生活のねじれた関係と言うことだろう。
作品のひとつの柱は、ウィリアム(ウィル)と娘Judithの関係。娘は母親(ウィルの妻のアン)と共に、シェイクスピアから長年捨てられてきたと思っている。そして知識人で大劇作家の父との間に越えがたい溝を抱えている。ウィルのほうも、どうやって娘や、病気で寝たきりのアンとの関係を取り繕えば良いのか分からず悩む。作品では人間の心理のこまごました面まで理解しているように見えるウィルが、自分の家族のこととなると、何を言っても裏目に出る。ただ、このあたりの台詞や行動、もっと分かりやすく出来たと思うが、どうも難解で、実感として迫りにくい。ウィルの心がいまひとつ私も理解できなかったが、英語の理解不足のためもありそうだ。台本を読んでみたい。
大変豊かに描かれているのは、ウィルの周りの社会。当時のイングランドの地方では、Enclosure(囲い込み)と呼ばれる公有地の牧草地化が進み、そうした公有地に大きく頼っていた零細農家が大地主によって取り込まれていった。また、ピューリタンなど教条的な宗教改革者たちのために、社会全体が不寛容になっていた。ウィルはそうした社会の傾向に悩みつつも、一方で賢い投資家として、町の有力者Combeに手を貸してEnclosureに協力する。彼が一時守ってやろうとした若い女性の浮浪者は、絞首刑になって、その遺骸は長らくさらされたまま。狂信的とも言える(ピューリタンの?)説教師は、後に自分の父親を殺害する。
ウィルと、彼と親しいちょっとピントのはずれた老人との関係はリアとフールにそっくり。『リア王』におけるパブリックとプライベートのねじれた関係は、この作品にも当てはまる。老人を演じたJohn McEneryが大変印象的。娘のJudithは長年父に捨てられてきたと思い込んでいる意固地で現実的な娘。突然、長年の単身赴任から帰宅した父に戸惑う中年の生活に疲れたオールドミス。彼女のいちいち棘の立つ台詞がウィルの胸に突き刺さる。Catherine Cusackは説得力たっぷり。しかし、説得力といえば、何と言ってもウィルを訪れたBen Jonsonを演じたRichard McCabeが凄い迫力だ。シェイクスピアへの才能と世俗的な豊かさへの嫉妬心、自分の経済的苦境への不安など、屈折した心理を畳み掛ける台詞で吐き出す。この劇が気に入らない評者でも、Ben JonsonのキャラクターとMcCabeの演技だけでは高く評価すると思う。出番は比較的短いが、役者冥利に尽きる役柄だろう。いかにも地方都市の財界人といった風貌のWilliam Combeを演じたMatthew Marshも忘れがたい。「こういう人、いるいる」、と日本の財界人やら、管理職やらを思い出しつつ、見た。
衣装が凄い!席が前から2列目の席だったのでよく見えたが、まさに、今使っています、というリアリティー。庶民の素朴な服も、Combeの豪華な服地の装いも素晴らしい。こういう細部でも、日本でやるシェイクスピア劇なんかと比べて超えがたい差が出来てしまうんだろうが、自分の国の歴史的コスチュームなんだから仕方ない。これなんかを見てると、日本のシェイクスピア劇の衣装は、西欧人のデザインで西欧人の歌手の着た蝶々さんの和服みたいなもんだ。
シンプルな舞台に本物の暖炉の火が燃え続け、大きなアクセントとなっていた(日本では消防法がうるさくて不可能かな?)。途中で使われた雪とその純白を照らす照明も効果的!また、絞首刑になった若い女の死に顔は、ミラーの『坩堝』がかもし出した空気を思い出させた。Robert Innes HopkinsのデザインとTim Mitchellの照明を賞賛したい。
マッケランやデンチなど、出てくるだけで、技術的な上手い下手を超えて、その人の経てきた人生、持っている人格で役を分厚く出来るような俳優がいると思うが、パトリック・ステュアートもそういう役者だと思えた。この人がシェイクスピアです、といわれても、ほとんどの役者では納得できないだろう。でも彼は本当にシェイクスピアに見えた。私の大好きなタイプの劇、素晴らしい脚本、素晴らしい役者たち!
今は、批評家の間でも評価が大きく分かれるこの劇だが、数十年後にはどういう評価を受けているだろうなあ。
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