2015/04/16

【英・伊映画】 『おみおくりの作法』(Still Life)2013年

『おみおくりの作法』(Still Life)  
 2013年制作 2015年日本公開 約90分

映画館:新所沢シネパーク
鑑賞した日:2015.4.16

監督・脚本:ウンベルト・バゾリーニ
出演:
エディー・マーサン (ジョン・メイ、市の民生係)
ジョアンヌ・フロガット(ケリー・ストーク )
カレン・ドルーリー(マリー)
アンドリュー・バカン(ミスター・プラチェット )

☆☆☆☆ / 5

この前映画に行ったのは、確か舞台のライブ映像を記録した映画だったと思う。本当に、滅多に映画館で映画を見なくなったが、学生時代は、週に3回くらい映画に行った年もあった。やはり大きなスクリーンで見ると、集中出来て良い。

さてこのイギリス映画、小品ながら結構ヒットしているらしい。2月初旬に公開されたようだが、まだあちこちで上映しているのだから。SNSや口コミ等で評判が伝わったのだろう。特に私のようなシニアにとっては、心を打つ内容だ。

主人公のジョン・メイはロンドンのケニントン地区の公務員。身寄りがなく、孤独死をした人のために葬儀をあげ埋葬をする係。たいていは近親者などが分からず、メイが調べて連絡しても、家族なのに「もう縁を切っているので私には関係ない」と言われたりして、葬儀も埋葬も彼一人が立ち会う。どうせ誰も気にしないし、死者も見ているわけではないから、形式だけ簡単に済ませることも可能だ。そしてそういうビジネスライクなやり方を、上役で、鼻持ちならないエリート風のミスター・プラチェットは望んでいる。しかし、彼はひとりひとりの死者を自分の家族のように扱う。近親者に連絡を取り、片身となるものを捜し、生前の写真をアルバムに貼って残す。葬儀ではその人の宗派を尊重し、その人にふさわしい音楽を選んで流し、そして牧師が読む弔辞の原稿さえ、遺品を手がかりにして代筆する。そのように手厚く死者を遇するメイだが、彼自身も質素な公営住宅で、きちんと暮らしてはいるが、天涯孤独な暮らし。妻や子供はおらず、尋ねて来たり、一緒にパブでおしゃべりする友もおらず、親しい同僚もいない。社会の片隅で、極めて真面目に、しかし透明人間のようにひっそりと暮らしている。

そんな真面目な公務員の彼だが、市当局は経費削減のために人員整理の対象とする。メイは、あと3日でやりかけの仕事を終えて辞めてくれ、とブラチェットに申し渡される。最後の仕事は、彼と同じ団地に住んでいて、孤独死した老人ビリー・ストークの葬儀と埋葬だった。都会の公営団地らしく、メイは生前のビリーとは全く面識がなかった。これが最後の仕事となったためだろうか、メイはビリーの件については、特別の思い入れを込めて、家族や友人を捜し、遠い北部の町ウィットビーなど、あちこち旅をする・・・。

最後はちょっと驚かされるが、それがこの映画をびりっと締めている。

エディー・マーサンという地味な俳優の魅力が映画全体に染み渡る。彼は主役をすることはまずないが、テレビの色々なシリーズもので脇役としてお馴染みの俳優。ほとんど表情を変えず、淡々と仕事をこなすが、心の中には、とても暖かい、しかし複雑な感情がいっぱいに詰まっていることを感じさせる。彼のオフィスの机まわりも、住んでいる質素な公営アパートの中も、驚くほどきれいに片づいているし、いつも同じ黒いスーツと白いシャツをきちっと着ていて、もの凄く几帳面な人であると分かる。と言うか、今時こんな人いるのかな、と思う。『名探偵モンク』という病的潔癖症の探偵を主人公にした人気ドラマ・シリーズがあるが、ずっと質素だけど、あのモンクの暮らしぶりを思い出した。

でもこれほど真面目で親切な人に、妻やパートナーも友人も仲の良い同僚もいないなんて、あり得ない。つまりかなりリアリティーに乏しい人物設定。そう考えると、彼は居そうで居ない、一種の寓意的人物と思えてきた。死者を弔うために神からこの世に派遣された天使であり使者みたいな存在だ。彼は神の使者として「あなたの家族のAさん(この場合、ビリー・ストーク)が亡くなりましたよ」と知らせを運んでくる。メイという使者により、故人との絆を取り戻し、自分の生を振りかえる人が現れる。ある意味、神のもとへと帰って行った人々から、生きている家族や友人への最後の贈り物を運んでくれる人、と見えた。でも彼は天使だから、この世にはルーツも家族もなくて当然・・・。この仕事がなくなったら、彼の役割も終わりか。再就職なんてする意味ない。

映画を見終わってしばらくしてからジョン・メイを思い出すと、テレンス・ラティガンの描く人物に似ている気がした。非常に堅苦しく、ルールどおり生真面目に生きるが、心の中には滅多に見られないような優しさやナイーブさを秘めている。『ブラウニング・ヴァージョン』のアンドリュー・クロッカー=ハリス先生とか、『ウィンズローボーイ』のウィンズロー家の人々や事務弁護士カリー、法廷弁護士モートンなど、ジョン・メイと共通するストイックさ、不器用さ、そして世間的な計算を度外視した優しさを見せる。古き良きイングリッシュ・ミドルクラスの理想像がうかがえる。ただし、あくまで理想だが。

ビリーの娘ケリーを演じたジョアンヌ・フロガットも大変印象に残る。彼女はテレビ・シリーズ『ダウントン・アビー』でメイドのアンナを演じている。執事のベイツに恋してついに結婚する役。派手さのない、さっぱりした顔つきの人で、庶民を演じるのにぴったりだ。プラチェットを演じたアンドリュー・バカンのドライで気取った役作りも上手いと思った。この俳優は、ドラマ『ブロードチャーチ』の第一シリーズで被害者の子供の父親を演じた人だが、あの演技も、人物の裏表が上手く表現されていて、良かった。

現題の"Still Life"が良い。普通、「静物画」を意味する英語。直訳すれば、「静かな暮らし/命」。ジョン・メイの暮らしも、映画の多くの場面も静物画のように静かだった。でも、静物画には、作者の深い思いが隠されているんだよね。ふと、学部生時代に良く読んだ作家アイザック・シンガーの短編、「短い金曜日」を思い出した。ジョン・メイは幸せな人だろう。

映画は、シニア料金でとても安く鑑賞できるから助かる。私のような人達がかなり見ているだろう。我々年寄りにとっては、「こりゃ、他人事じゃないね」という、大変身につまされる内容だった。私自身、フルタイムの勤めを辞めて以来、妻や郷里の母と話す以外、全く人と話すこともなく毎日が過ぎているからなあ。

ケニントンは、ロンドンの南部にあり、貧しい人の多い地域だと思う。地下鉄のケニントン駅は、ノーザン・ラインがキングス・クロス方面とチャリング・グロス方面に別れる駅で、時々列車を乗り換えたものだが、駅改札の外に出たことはほとんどない。しかし、一度、この街にあるパブ・シアターのWhite Bear Theatreで上演されたジョン・オズボーンの劇 "Personal Enemy" を見に行っていた。お店などもほとんどなく、とても飾り気のない、ジョン・メイにぴったりの地味な街並みだった気がする。う〜ん、ロンドンがなつかしい。

予告編はこちら

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