ボッティチェリとルネサンス:フィレンツェの富と美
(Bunkamura ザ・ミュージアム、2015.5.26午後)
都心で用事があって、それを済ませた後、標記の展覧会に行って来た。とても楽しく見ることが出来た。親しい友人夫妻から招待券をいただいて出かけた。ご夫妻にはこの場を借りてお礼を申し上げます。
サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)というと、美術に疎い私でも、「春」(プリマヴェーラ)とか、「ヴィーナスの誕生」などが思い浮かぶ。今回、チラシによると「国内市場最大規模」の展覧会だそうで、かなりの数(17点)の彼の作品が見られた。中でも巨大なフレスコ画「受胎告知」(243 x 555 cm)は大変見応えがあった。但、彼の「工房」の作品となっている絵の中には、素人目にも平面的で深みに欠けるものはあった。
彼の絵に描かれる男女の、私にとっての魅力は、独特の透明感、生きた人間としての生臭さがない美、みたいなもの。そう言うと失礼かも知れないが、もの凄く良く出来た陶器の人形とかロボットを、美しい絵にしたような感じがする。描かれるのは天使とかマリア様だから、むしろ、汗をかいたり、体臭がしたりしそうな人間くささよりも、リアリティーを越えた美しさがふさわしいと思っても許されるかも知れない。特に、どこを見ているか分からないような、透明感溢れる目がきれい。目を伏せていたり、つぶっていたりしても、そのまぶたやまつげに、表現しがたい魅力がある。マリアとか天使の姿勢や表情は、細かいところまでパターン化していると思うので、一種の様式美なのだろうか。しかし、そうしたパターンを使いながら、その制約を生かして、他の平凡な画家とは違う魅力を作り出すところが天才なんだろう。
今回の展覧会が私にとって特に面白かったのは、副題になっている「フィレンツェの富と美」に焦点を当てていることだ。英語のタイトルでは、’Money and Beauty: Botticelli and the Renaissance in Florence’ となっている。ボッティチェリはフィレンツェに生まれ、あの町で成功し、そして亡くなっている。作品の良き顧客であったコジモ(1389-1464)とロレンツォ(1449-92)の2人を中心としたメディチ家の支配するフィレンツェの経済界、政治、国際金融などと関連づけて、彼の作品を展示している。最初の展示室には、当時のフィレンツェの金貨、フィオリーノ金貨、がたくさん並べられていた。そして、1540年頃の絵、マリヌス・ファン・レイメルヴァーレに基づく模写「高利貸し」。これに描かれた金融業者のずる賢そうな表情がとても良い。後のイギリスのホガースの絵のような諷刺画を思いださせると共に、中世の絵画や演劇における寓意的な悪徳(「吝嗇」など)を表す人物のようでもある。更にこの関連で印象に残った絵は、フランチェスコ・ボッティチーニ作「大天使ラファエルとトビアス」(1485年頃)。旧約聖書の「トビト記」で語られる話を絵にしてあるそうで、天使が少年トビアスの手を取って旅立つシーンが描かれている。「トビト記」は、病気の父親が、貸した金の回収のために息子のトビアスを旅に出すが、両親の祈りを聞き入れたラファエルが旅に同行したという話だそうだ。天使が借金取りを保護してくれるという、如何にも金融業者の喜びそうな題材の絵である。前述の「高利貸し」の絵とは違って、ここでは大天使もトビアスも美しい、理想化された姿で描かれている。
ところで、当時、カトリック教会はキリスト教徒に、原則として、利子を目的とする金融業に従事することを禁止していた。そのため、中世においてはユダヤ人がその役割を担ったのは、『ベニスの商人』を見れば良く分かる。一方で、そうは言っても、様々な形で金の貸し借りは行われ、実際上金融業は盛んだったし、メディチ家もそれによって巨万の富を築いたそうだ。彼らが主に用いた手段は、国際金融において為替の差額を利用して利子を取ることだった。メディチ銀行発行の為替手形も展示されていた。ちなみに、15世紀頃のイングランドの宗教裁判所における民事裁判の多くは、借金の支払いに関するものだったというから、可笑しい。
聖母子の絵が何枚かあったが、マリアは、他の画家の絵でもしばしばそうであるように、赤い服の上に濃紺、ないし青のガウンを羽織っている場合が多い。赤い服は当時、奢侈条例で規制され、原則禁止された色だったと展示の説明にあった。但、奢侈条例で贅沢品を規制することで、商業活動を抑えることになり、市政府は困った。そこで、富裕層は罰金を払えばそうした贅沢品も購入出来るという制度が作られた。一種の累進的な消費税であり、現代にも通じる。しかし、金があれば法律を越えて(あるいは新しい法を作って)何でも出来、社会の格差も広がる、というのでは、庶民の間では不満も高まるだろう。
15世紀末になると、フィレンツェではメディチ家が失脚し、フランシスコ会指導者のジオラモ・サヴォナローラ(1452-98)が世の贅沢を糾弾し、禁欲的な信仰に戻るように唱える。彼は民衆に支持されて政治的権力を得、神権政治を行う。修道女プラウティッラ・ネッリによる「聖人としてのジオラモ・サヴォナローラ」(1550年頃)という絵も展示されていた。修道士の装束に身をまとった、如何にも厳格で禁欲的そうな人物の横顔が描かれている。この頃には、ボッティチェリもサヴォナローラに感化されてか、あるいは変化した世間に順応してか、絵も地味なものに変わっていったそうだ。そのサヴォナローラも、教皇から裁判にかけられ、絞首刑の後に火刑にされるという2重の刑罰を受ける。ボッティチェリの晩年も貧しく孤独なものだったらしい。
彼は一生結婚しなかった。ある高貴な既婚女性を一方的に愛し続けた、という伝説もあるそうだし、また、ホモセクシュアル、ないし、バイセクシュアル、という説もある(Wikipedia英語版による)。絵を見ているとホモセクシュアル説にはうなずける。彼の描く人々は、性別を超えた美しさを放っていると感じる。私は、ラファエル、ミケランジェロ、ダヴィンチなどよりも好きだ。彼は死後長らく美術史では忘れ去られた存在だったらしいが、彼の再評価を行ったのはラファエル前派の人達だったとのこと。なるほど、と思った。
展覧会のホームページに色々な解説や絵の画像、そして紹介ビデオがある。
この展覧会、見たかったのに・・・・
返信削除行けないようです。
残念で仕方ありません。京都か神戸でしてほしかった!
大阪では、ありえないし・・・・
ライオネルさま、
返信削除他のブログで同じ意味のコメントを読みました。関西の方で同様の感想をお持ちの人、多いでしょうね。来年前半、東京都美術館でもボッティチェリ展があるらしいです。そちらは関西にも行くと良いのですが。
http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_botticelli.html