2018/08/22

チョーサーとガワーが出てくる中世ミステリ、Bruce Holsinger, "The Invention of Fire" (Harper, 2015)

Bruce Holsinger, "The Invention of Fire"
(Harper, 2015) 480 pages.

☆☆☆☆ / 5

作者のBruce Holsingerはアメリカのバージニア大学の中世英文学の先生。既に数冊の研究書を出版しており、専門家としてもかなり知られている方のようだ。一方で、近年は中世イングランドを舞台にしたミステリを書き始め、これが2冊目。最初の作品は "A Burnable Book" (2014)でかなり好評を博したようで、今回の本が2冊目。私は、ブログに感想を書きそびれたが、最初の本も去年読んでいて、結構面白かった。私の様に中世英文学に関心のある読者にとっては、彼の本は特に面白い。というのも、主人公が、チョーサーの友人で、今も読み継がれている詩人、ジョン・ガワーに設定されているからだ。そして、チョーサー自身もガワーの友人として出てくるし、14世紀末の世相も色々と細かく反映されていて、日頃勉強してきたことが頻出し、かつ知らない事も多々学べるので楽しい。巻末には筆者が参考にした書籍も書かれている。

さて、小説の場面設定は、1380年代、リチャード2世の治世におけるイングランド、特にほとんどはロンドン市中とその近郊で起きる事件を扱う。ワット・タイラーの乱の後、イングランドの政局は極めて不安定で、若い王の治世の存続が危うくなりつつある。エドワード王時代の終わりには最有力者であったジョン・オブ・ゴーントは、イベリア半島に遠征したまま。権力の空隙を縫って、グロースター公トマス・オブ・ウッドストックが王室を牛耳りつつある。そうした中、糞尿も流れるロンドンの下水用の溝で16人の死体が一気に発見される。ガワーは彼の友人で、ロンドンの治安を預かる司法官の、Common Serjeant of Londonである、ラルフ・ストロード(この人は現実に存在した人で、やはりチョーサーの友人)、及び、王の側近の貴族で大法官(The Lord Chancellor)のサフォーク伯、マイケル・ド・ラ・ポールから、この殺人事件の捜査を依頼される。

何故詩人ガワーがそんな捜査を依頼される設定になっているかというと、当時は文筆で生計を立てることは出来なかったので、公務員であったチョーサーみたいに、ガワーは何らかの生計の手段を持っていたと思われるが、それがはっきり分かってないからだ。但、ガワーがイングランドの法や政治に関心が深かったことが作品からうかがえるので、彼は法律に密接な関係がある職を持っており、ロンドンにかなり存在した法律家のひとりではないかという推測もある。Holsinger先生は、そこで、ガワーが一種の私立探偵として活動し、ロンドンの様々な情報源を操りつつ、事件を解決していくという設定にしているわけ。Holsinger版ガワーは、現存する作品から受ける印象よりもかなりいかがわしい人物で、有力者の弱みを握って情報や譲歩を引き出したり、コインをばらまいて情報を買うと言った、公の司法官ではやりづらい手段を使って活動する。でも当時の役人にとっては、賄賂と正当な収入の差は紙一重だったから、これが実情かも知れない。とにかく、興味深い人物設定だ。

さて、タイトルになっている"The Invention of Fire"だが、この時代、それ以前から戦争で使われてきた火薬を使った砲(canon) が小型化し、近代初期になって戦争の主な武器となっていく火縄銃へと開発が進んでいく時代。14世紀後半から15世紀にかけて使われたのは、hand canon (当時の綴りで、handgonne)と呼ばれ、個々人が携帯可能だったが、いちいち着火しなくてはならず、非常に手間のかかる「銃」で、着火を担当する助手が必要だった。それが助手なしでも操作でき、連続して発射できる火縄銃タイプへと変わっていく時代を背景に、王を脅かす陰謀と、その陰謀で使われる小型の銃器の開発を組み合わせて、ミステリに仕上げているわけである。

チョーサー自身も、ケント州の治安判事(Justice of Peace)という名誉職をやっており、その資格でガワーと共に捜査に加わる時もある。ガワーは使用人はいても一人暮らしの孤独な男で、フィリップ・マーローみたいな一匹狼なんだが、チョーサーは公務員で、形ばかりとは言え家族持ち。ガワーが事件にどんどんのめり込んでいくのに対して、チョーサーにとって人生の主な関心は詩作にあるようだ。こうしたHolsingerの描く二人のキャラクターの違いも面白い。

私にとって特に印象に残ったのは、登場人物のひとりで重要な目撃者、ロバート・フォークがかってケントの海辺の町New Romneyの聖史劇で役者を務めた、というような記述があったこと(Haper社版167頁)。New Romneyの聖史劇の脚本は残っていないが、上演史料が発掘されてはいて、それについて論文がいくつか書かれている。こういうことを書くあたり、さすが専門家、と感心。

色々と興味深い作品だが、ストーリー展開の面白さでは、同じ歴史ミステリでも、C. J. Sansomのマシュー・シャードレイク・シリーズや、エリス・ピーターズの修道士カドフェル・シリーズ等と比べ、いまひとつという印象。スピード感があって息を飲む、という様なところはない。しかし、それを埋め合わせるだけの情報豊かで濃密な雰囲気作りがあり、特に中世ヨーロッパ好きにとっては大変楽しめる作品だ。

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