2010/03/29

"Antigone" (2010.3.26 Oxford Playhouse)

アマチュア劇団だけど、プロ並みの演技に感心
"Antigone"
Oxford Theatre Guild公演
観劇日: 2010.3.26 20:00-22:20
劇場: Oxford Playhouse


演出:Janet Bolam
原作:Jean Anouilh
脚本:Lewis Galantière
美術:Jimmy Keene
照明:David Long
音響・作曲:Bill Moulford


出演:
Jenni Mackenzie (Antigone)
Nick Quarterly (Chorus)
Joseph Kenneway (Creon)
Angela Myers (Eurydice)
Adam Potterton (First Guard)
Alistair Nunn (Haemon)
Cate Field (Ismene)

☆☆☆ / 5

学会で行ったオックスフォードで、Oxford Playhouseという良く知られた劇場で、たまたま上演中で見ることが出来、幸運だった。"Antigone"はもともとソフォクレスによるギリシャ悲劇で、オィディプス王の娘の話だ。色々なアダプテーションがあるようだ。これはフランスの著名な劇作家ジャン・アヌイによる1943年出版、1944年初演(パリで)のバージョンの英訳。オックスフォードで活動するアマチュア劇団による上演。しかしアマチュアと言っても、実体はちゃんとかなりのお金を取り(ストール席で15ポンド)、大変立派な劇場で1週間上演するわけであるから、セミプロと言って良いかも知れない。日本でもプロとアマの混ざった公演は多いし、新劇の劇団の公演も、端役はプロとしては食べていけない若い役者さんがなさることが多いと思うから、そういう上演とそう変わらないレベルだろう。

お話だが、古代ギリシャのテーベを舞台にしている。Oedipus亡き後のテーベを占領したCreon王は、Antigoneの二人の兄弟のうちの一人、Polynicesの遺体を見せしめのために野ざらしとし、腐って行くままにしている。Polynicesの妹Antigoneは、Creonの禁令をやぶって、その遺体をしきたり通りに埋葬しようと何度も試みる。Antigoneの叔父であるCreonは、何とかAntigoneを殺すことは避けたいと、必死で彼女にそうした試みを止めるようにと説得する。しかしその一方で、王としてのCreonは、戦争が終わって間もないこの地で、例え縁者と言ってもAntigoneを特別扱いすることによる政治的な影響を大変恐れ、自分の出した禁令を反故にしてまでAntigoneの我が儘を許すことは出来ない。死を覚悟で、王の権力に抵抗して、兄の遺体を埋葬しようとする若い娘と、Antigoneを助けたくても、国の安寧を顧みると、彼女を助けられないCreonの間に息詰まるやり取りが続く。一方、AntigoneはCreonの息子Haemonと恋仲にある。Haemonは、もし父がAntigoneを殺すようなことになれば、彼も生きてはおれないと宣言して父を苦しめる。一族は恐ろしい悲劇へ向かって、刻一刻と近づいていく。ギリシャ人には勿論、教養のある西欧人にもお馴染みのストーリーだろうと思う。『忠臣蔵』や『四谷怪談』のように物語の悲劇的結末は分かった上で、それをどのように見せるかが、劇の焦点。

始まった途端に、劇の意図を説明する人が出てきて、長々と説明を始めたので、何かと思ったら、これがギリシャ劇で登場するコーラス。でも一人だと、とっさにコーラスとは思わなかった。中世劇に出てくるexpositor(解説者)のような感じである。シェイクスピアでも時々このような人が出てくる(『ペリクリーズ』のガワーは一例)。

前述のストーリーで分かるように、国の権威とそれにたったひとり立ち向かう若いけなげな女性のドラマ。そういう意味で、ジャンヌ・ダルクを思い出させる。しかし、ドラマのエネルギーは、Antigoneのヒロイズムとともに、Creonの置かれた、王としての苦しい立場に大きな力点を置いていて、そこが大変面白い。理想だけでは国の安定は保てない、時には非人道的なことをしてでも、多数の人々の安定した生活を守らざるを得ない、と考えるCreonは、悪役ではなく、悩める為政者である。

遺骸を埋葬しようとする縁者、そしてその死体の持つ政治的意味の大きさに恐れをなす為政者、と考えると、キリストの死後のピラトと、キリストの信奉者やマリアなどの肉親を想い出させる。アヌイの頭には、そういう連想もあったに違いない。また、現在の観客にも、私のように、それを思い浮かべる人はいるのではないだろうか。

面白いのは、この劇が第2次大戦中に書かれ、ナチスドイツ占領下、ビシー政権の治めるパリで上演されたこと。当時の人々は、当然ながらCreonをナチスとビシー政権に置き換え、Antigoneをフランスのレジスタンス運動に見立てたようである。しかし、劇はそう単純に割り切れるようには出来ていない。それは、アヌイのナチスに対する妥協だったのか、それとも、もっとマテリアル自体への彼の洞察に基づいたものだろうか。

上演は概してオーソドックスなものだったが、背景に映像をいくらか使っていた。しかし、いささかちゃちな感じ。映像を使った演劇では、幾らかでもスタイリッシュな雰囲気が出ないとやる意味が無いように思うが、この場合は何故必要なのか分からなかった。衣装もなんともへんてこな、無国籍で、半分モダンな、でもCreonの衣装は現実には使われないようなコスチュームで、中途半端。そういうプロダクションの周辺部分は、やはり素人臭い。但、セットは立派なセット。オーソドックスに重厚なギリシャ風の柱を並べていたし、照明も古代地中海の雰囲気を良く表現していたと思う。

俳優の演技は大変立派だった。特にCreonを演じたJoseph Kennewayは、若い娘の頑固な理想主義の扱いに苦しむ為政者かつ縁者の内面を力強く表現して、抜きんでていた。中年のハムレットである。AntigoneのJenni Mackenzieも大変な熱演だったし、台詞回しについては、間違いも無く、多量の言葉をすらすらと操り、良かった。一方で、声が細くて、キーキーと甲高く聞こえてしまったのは残念。とてもきゃしゃな、少女のような人で、全体的に言って、このエネルギッシュな役の為には、フィジカルな存在感、力強さが足りない感じがした。小柄でもそう言う点を演技でカバーするのがプロだとしたら、やはり、素人と言えるのだろうか。警備兵をやった3人の演技が軽妙なところがあって、なかなか面白かった。特にFirst GuardのAdam Pottertonは印象に残った。庶民は王侯貴族とは違った次元で生き、時には大変残酷に、時には軽妙にふるまうのは、シェイクスピアでも中世劇も良く見るが、ここでもそうである。

日本のセミプロ劇団だと、劇団所属の研修生などを沢山使うせいか、役者さんの年齢構成が若い人に偏ったりすることが多い気がする。その点、この公演は、全て適切な年齢の人がそれぞれの役をやっていて良かった。イギリスの地方都市における演劇文化の広がりを感じさせた。レベルも高くて、アマチュア劇団恐るべしであった。もっとも学園都市オックスフォードは別格なのかもしれない。

(追記)本題とは関係ないが、Oxford Playhouseの来週の公演は、ツアー中の劇で、"Hedda Gabler"。これがAdrian Noble演出、俳優がRosamund Pike,  Tim McInnerny, Robert Glenisterという超豪華なラインナップ。1週ずれていれば、と残念。但、"Antigone"を見させていただいたことには、Oxford Theatre Guildに大いに感謝。更に、"Hedda Gabler"の公演は恐らくWest Endにトランスファーの予定とのことで、期待している。

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