トマス・モアと娘の深い絆
John Guy, 'A Daughter's Love'
(2008; Harper Perennial, 2009)
☆☆☆☆/5
オックスフォード大学の歴史学の教師であり、チューダー朝の歴史のスタンダードな概説書'Tudor England' (Oxford UP, 1990)の著者でもあるJohn GuyによるSir Thomas Moreとその娘Margaret Roperの父娘の伝記。トマス・モア(Thomas More)はイギリス・ルネサンスを代表する知識人で『ユートピア』などの著作で広く知られるが、また、書斎の外では弁護士として働き、実力者トマス・ウルジー(Thomas Wolsy)に仕え、更にWolsy失脚後、大抜擢されてヘンリー8世により大法官(The Lord Chancellor)に任命された。しかし国王ヘンリーの離婚や宗教改革に同意せず、ロンドン塔に監禁され、断頭台に送られたことは、名作映画『我が命つきるとも』('A Man for All Seasons')で多くの日本人にもお馴染みだ。
彼はデジデリウス・エラスムスの親友であり、エラスムスと共にルネサンスの代表的人文学者の1人であった。彼の周辺に集まった知識人はモア・サークルと呼ばれ、劇作家で印刷業者のジョン・ラステルなど含まれる。彼の子供達は非常に文化的な家庭に育ち、また彼は学者を家庭教師に雇って、男女の区別をせず自分の子供に高度の古典語教育を施した。中でも長女のマーガレットは父親も驚く秀才に育ち、10代のうちに既にギリシャ・ラテン語を修め、古典を自由に読みこなし、エラスムスのラテン語の著作を翻訳し、後に出版できるほどになった。
トマスはしばしば意に反して政治の世界で取り立てられ、多忙な生活を送り、ロンドン郊外の自宅にも滅多に帰れない日が多かったようだ。マーガレットは度々彼に手紙を送って留守宅の様子を知らせる。更に彼がヘンリーの逆鱗に触れて投獄された後は、ジョン・ラステルなど友人、家族や親類が保身のために彼から離れて行く中、彼女だけが頻繁に面会に行き、彼を最後まで精神的に支える。妻のアリスは現実的な人で、彼が王の離婚や教会改革に反対し続けるのが全く理解出来ず、彼の投獄中面会に行ったのは一度きりであった。代わって、マーガレットが、トマスの知的、精神的理解者として、自らも身の危険を冒して、最後まで彼を励まし続けた。又、彼の死後、さらし者にされていた彼の遺骸(頭蓋骨)を引き取り、埋葬したのも彼女である。
著者のGuyは、あまり想像には頼らず、トマスの著作、彼やマーガレット、エラスムスなど、周辺の人々の手紙などに直接語らせる方法で、大変堅実に人間ドラマを盛り上げる。膨大な第一次資料を駆使しつつも、学術書のドライな叙述に陥らず、トマス・モアやマーガレットの人間像を温かい目で描いている。特に終盤のモアの投獄から死刑に至る過程は大変緊迫感があり、感動的である。
マーガレットは、散逸しないように父親の著作を収拾し編集して、ジョン・ラステルの息子ウィリアム・ラステルと共に、出版の準備をした。しかし、著作集の出版に漕ぎつける前に39歳の若さで病に倒れて亡くなった。今トマス・モアの多くの作品、そしてとりわけ手紙が読めるのは、マーガレットの力によるところが大きいとのことである。
ちなみに、Peter Ackroydのモア伝、'The Life of Thomas More' (Vintage, 1999)も大変良い本で、勧めたい。チューダー朝には本当に色々と興味深い人物が多くて、伝記を読むと面白い。
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