2009/11/13

"Life Is a Dream" (Donmar Warehouse, 2009.11.12)


古典の醍醐味を満喫!
"Life is a Dream"
Donmar Warehouse公演
観劇日: 2009.11.12  14:30-17:00
劇場: Donmar Warehouse

☆☆☆☆☆ / 5

演出:Jonathan Munby
原作:Pedro Calderón de la Barca
翻訳:Helen Edmundson
美術&衣装:Angela Davis
照明:Neil Austin
音響:Dominic Haslam
音楽:Dominic Haslam and Ansuman Biswas

出演:
Dominic West (Segismundo, a prince of Poland)
Rosaura (Kate Fleetwood, Clotaldo's daughter)
David Horovitch (Clotaldo, a courtier and gaoler of Segismundo)
Lloyd Hutchinson (Clarion, Rosaura's servant)
Malcolm Storry (Basilio, the king of Poland)
Rupert Evans (Astolfo, a courtier)
Sharon Small (Estrella)

Calderónの"Life Is a Dream"は、イギリス演劇における"Hamlet"に比肩されるような、スペイン・ルネッサンス演劇の傑作のひとつだそうである。休憩も入れて2時間半の上演時間では"Hamlet"の重厚さには及ばない気がするが、長年スペイン国民に愛され、又多くの人に研究されてきただけのことはある名作だと思った。これを一流の俳優とスタッフによる今回の公演で見ることが出来、大変幸運だった。

舞台はポーランド。王Basilioは息子Segismundoがやがて王位を簒奪するという予言を受けて、息子が生まれると直ぐに死んだことにして、塔に幽閉し、忠実な廷臣Clotaldoに監視させていた。Segismundoはこの非人間的な環境で育ち、鎖に繋がれた野獣のような男に成長している。しかし、Basilioは息子が真っ当なプリンスとして振る舞えるかも知れないという一抹の希望を持っていた。Clotaldoに命じて息子に強い薬を飲ませて眠らせ、王宮に運んでSegismundo自身にも伏せていたプリンスとしての素性を明らかにする。突然自分の持つ権力を知り、有頂天になったSegismundoは、彼をたしなめた家来を殺しかけ、また、Clotaldoの美しい娘Rosauraを強姦しようとする。息子の正体が野獣のようであると知ったBasilioは、再び彼に強い薬を飲ませて眠らせ、牢獄に連れ戻して監禁する。目が覚めたSegismundoは、王宮での一日が一体何であったのか自問すると、Clotaldoは全てはSegismundoが夢で見たことだと説明し、Segismundoもそれを信じる。しかし、彼は夢の中ではあっても自分のしたことの非道さを顧みて、もしまた同様の夢を見ることがあれば、同じ過ちは犯さないと心に誓う。

民衆は王Basilioに叛旗ををひるがえし、Segismundoを塔から解放して、反乱軍の頭領になって欲しいと説得する。Segismundoは、今回もまた夢に過ぎないと疑って、なかなかその気にならない。しかし最後には折れて、彼らと共に王宮に攻め入り王を追い詰める。しかし、前回の「夢」を見た時は違い、今回の夢の中では、彼は成長したプリンスとしての高貴さと寛容さを示した・・・。

以上のメイン・プロットと共に、Rosauraが、かって彼女を捨てた貴族Astolfo(王の廷臣)に仇討ちをするというサブ・プロットが重ねられて進行する。

第2幕の最後にあるSegismundoの独白が、この劇の魅力を存分に語ってくれるので、それを引用したい:

I dream I am a powerful prince:
I dream I cower within these walls.
And both are true, both are lies.
What is this life? A trick? A story?
An episode of passion?
A shadow, a delirium?
A vast imperfect fantasy,
Where even the greatest good of all,
Is nothing but futility?
Why do we live? What does it mean?
When dreams are life, and life's a dream.

(以下は私の拙訳)
私が偉大なプリンスだという夢を見る。
この壁に閉じ込められた夢も見る。
どちらも真実、どちらも偽り。
この人生は一体何? からくり芝居か、物語か。
一時の熱情。
まぼろしか、うわごとか。
至高の善さえも無に帰してしまうような
遠大で不完全な幻想か。
夢が人生で、人生が夢であるならば、
我々は一体なぜ生きているのか。人生に何の意味があるのか。

西洋文学の様々な主要モチーフがこだまする劇である。『オイディプス王』でも見られる予言と父殺し、「王の鏡」(Mirror of Princes)としての文学、虐げられた野蛮な貴族/貴族的な野蛮人(noble savage)、塔に幽閉された貴人、運命論と個人の自由意思の相克、そして勿論、夢と現実の交錯と物語(dream vision)、等々。

シェイクスピアとの親近性を大変感じた。Segismundoはキャリバンと似ているし、また、劇全体の夢の構造が、魔法で作られた世界である"Tempest"と共通する。SegismundoとBasilioの関係はHamletとClaudiusを想起させる。"Hamlet"でもうかがえる運命と自由意思の問題は、宗教改革の大きな争点でもある。

更にSegismundoの台詞にはシェイクスピア作品で盛んに使われる「世界=劇場」のイメージも存在する:
Let this peerless, valiant man,
enter the theatre of the world,
step out upon its mighty stage
that I might wreak my vengeance.
Let them see Prince Segismundo . . .
(He awakens.) But where am I?

この比類無き、勇敢な男に
世界という劇場に入場させよ、
その力強い舞台に進み出させよ、
そうして私は仕返しをしてやるのだ。
プリンス・セギスムンドを見せてやる・・・
(彼は目覚める) しかし私はどこに居るのか。

ほとんど道具類を使わない裸のステージだが、明暗をはっきりさせた、ベラスケスの絵のような照明が大変効果的。俳優も皆申し分ない。特にSegismundoのDominic Westはnoble savageを荒々しく魅力的に演じていた。演出のJonathan Mumbyは昨年見た"The White Devil" (Menier Chocolate Factory) の演出家。古典をオーソドックスに演出する腕に特に秀でているようだ。

世界が劇場であり、また人生が夢ならば、劇場という夢もまた人生。良い夢の名残を思い返しつつ、11月の冷たい霧雨の降るウエスト・エンドの街を歩いて駅へ向かった。

3 件のコメント:

  1. あの狭い舞台でこのように壮大な劇を上演するところがすごいですね。ぜひ観たかったです。残念。

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  2. こういう舞台こそ、見たかったです!
    ドンマーのあの狭い舞台は、装置がなくても、それを感じさせない素晴らしさがありますね。
    日本で、なかなか観ることに出来ない演目なので、見れないのが残念です。

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  3. ライオネル様へ、

    見られなくて残念でしたね。この劇、特にシェイクスピアなど古典が好きな私には、とても興味の湧く作品でした。12月の『ロープ』、楽しんで下さい。Yoshi

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