2010/02/23

"The Habit of Art" (National Theatre, 2010.2.21)

複雑な構造と視点にびっくり
"The Habit of Art" (Lyttelton, National Theatre,
2010.2.21 15:00-17:20)


Director: Nycholas Hytner
Writer: Alan Bennett

Design: Bob Crowley
Lighting: Mark Henderson
Music: Matthew Scott
Sound Design: Paul Groothuis



出演者
劇中劇の俳優: 

Richard Griffiths (Fits / W H Auden, a poet) 
Alex Jennings (Henry Benjamin Britten, a composer) 
Adrian Scarborough (Donald / Humphrey Carpenter, a biographer) 
Stephen Wight (Tim / Stuart) 
以上、括弧は(役者の名前 / 劇中劇の役名)

劇中劇のスタッフ: 

Elliot Levey (Neil, author) 
Frances de la Tour (Kay, stage manager)
John Heffernan (George, assistant stage manager) 
Barbara Kirby (Joan, chaperone) 
Danny Burns (Matt, sound) 
Martin Chamberlain (Ralph, dresser) 
Tom Attwood (Tom, rehearsal pianist)


う〜ん、これは難しい、と見始めた途端に思った。まず台詞が分からない。大体の筋とか、台詞の輪郭は分かるのだが、この劇の場合は、面白さは微妙なニュアンスにあり、その中に沢山ユーモアが含まれているらしい。まわりの観客は大笑いしていたが、私は笑えなくてしらけた。途中でうんざりして出ようかと思ったくらいだが、うとうとしつつ(前の晩寝付きが悪くて、寝不足だったので)、最後まで見た。そうしたら、俳優の演技の素晴らしさとか、劇全体の構造の面白さで引きつけられて、最後まで見て良かった、それどころか、後で、もっと注意してみておればと後悔した程。あまり分からなかったことで、私としては不消化な観劇であったが、英語がもっと分かる人にはかなり面白い作品だろうと想像する。


“The History Boys”の時も思ったのだけれども、この劇はイギリスのミドルクラスの知識人(それも主に男性)が共有する若い頃の記憶にかなり多くを負っている。前作では、昔のパブリックスクールの伝統とその中に息づいていた若者文化だったようだが、今回は、戦後間もない頃のオックスフォードなど名門大学のカリスマのあるフェローやそのまわりのインテリ、そして彼らの周辺にいた人々、更に、そうした人に感化されて育ち、今まだ生きている世代(Bennettの世代で、今60歳以上の人か)などが共有する時代の残像がベースになっていると思う。日本で言うと、安部公房とか、田村隆一とか、あるいはもう少し古くて堀辰雄とか、朔太郎などと、その当時の若い読者の世代にまつわる劇のようなものか。だから、何だか、”We English are / were . . . “なんてお互いに言って、笑いながら「ああ、そうだった、そうだった」とうなずきあいながら喜んでいるような内輪の劇、という気もする。と言っても、ワーキング・クラスの人やマイノリティーの人などにはあまりピンと来なくて、単に時代錯誤の劇に見えるかも知れない。そういう点が、外国人の私としては、ちょっと癪に触る。


劇を見た後にパンフレットを読み、それからリビューも2,3読んで、なるほどねえ、と色々と分かって納得することは色々あった。言われてみるととても興味深い劇。特にその構造は大変面白い。劇の中心にあるのは、1972年にAudenとBrittenがOxfordのAudenの私室で会ったという架空の出来事。更に、AudenとBrittenの伝記を書いたHumphrey Carpenterという伝記作家がAudenに会ったのもその同じ日で、Brittenがやってくる前と言うことになっている・・・(と思う)。それが劇の核だが、外枠は、その二人の出会った日を劇作家のNeilという男が作品にしており、それを劇団が演じていて、今日は通し稽古の最中、という設定である。つまりAudenに関する劇をリハーサルしている様子を、Bennettは二重に劇にしているのだ。更にこれに複雑なニュアンスを持たせているのは、Carpenterが伝記作家として、稽古をさえぎって色々とコメントをするのである。しかもCarpenterという伝記作家と、彼を演じているDonaldという役者の視点がおそらく微妙にずれたりする(と思う)。劇というノンフィクション作品とは別に、Carpenterの伝記というもうひとつのノンフィクション作品の視点が介入する。また、今日は舞台のディレクターが用が出来て急に休み、ステージ・マネージャーのKayが進行役をするだけで、役者は自分達の思うように演じているので、色々とコメントを言い始める——こんなこと、あるはずがない、とか、不自然だとか、台詞が言いにくくて覚えられないとか(多分・・・)。そう言われると、作家のNeilも憮然として、反論する、というわけで、AudenとBrittenの会話のドラマと、それを演じている役者たちや劇作家やスタッフのドラマが交錯しつつ進み、それにクリエーターとしてのCarpenterとNeilの視点が斜めから入ってくるわけである。古い言葉で言えば、脱構築というわけ。


言葉にしてみると、実にややこしい。しかし、ふんだんにユーモアが散りばめられているようで、私は分からなかったが、イギリス人観客はとにかくよく笑っていた。 AudenとBrittenの会話の中身だが、ひとつは2人とも現実においてもホモセクシュアルだったので、その話。Audenはそのことを大っぴらにしており、あけすけにしゃべるが、Brittenは、Audenには話していても、公には秘密にしているようで、そのあたりを色々と議論している。もうひとつの話題は、創作について(つまり”The Habit of Art”)のようだが、私には、肝心のこの話の内容がどうもよく分からないままになってしまった。これについては、これから脚本を読んでみたい。


Auden役は当初Michael Gambonがやる予定だったのだが、健康上の理由でRichard Griffithに代わった。彼も勿論上手い。あの辛辣な輝きを放つ目つきで、こういう皮肉な男の役には特に向いている。芸術家の冷たさと毒気を感じさせた。Alex Jenningsも、ナーバスで堅苦しく几帳面なBrittenを名演。他の俳優も皆素晴らしいが、特に、我の強い役者たちをなだめすかしながら何とかリハーサルを進行させるために気を配るKayを演じたFrances de la Tourが最後に劇をまとめて、舞台全体をさらった感じだった。


そんなに言葉が分からなくても、演劇は充分楽しめ、理解出来ることが多いが、この劇は大変複雑な構造と屈折した視点を持ち、台詞の微妙なニュアンスが大切のようで、英語が十分に理解出来ないとついて行けないと思った。多分、これからテキストを読んで、もう一度公演を振り返るつもり。


(今回はよく分からないままなので、☆をつけていません。)



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2 件のコメント:

  1. Yoshiさま

    お久しぶりです。
    久しぶりにブログを見に来て、この芝居の面白そうな構造に興味がわきました。私はもっと聞き取れないのですが、アラン ベネットの作品ならば読んでからでも観てみたい気持ちになりました。

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  2. Jamieさま、

    いやーっ、お久しぶりです!お元気ですか。お仕事もこの時期、少しほっと出来る時期でしょうか。

    この劇、後で考えるととても面白かったはずなのに、と悔しいですが、見られただけでも幸せかな。またお会いしたいですね。Yoshi

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