2010/02/16

"Enron" (2010.2.15, Noel Coward Theatre)


経済の病巣を視覚的に見せる
"Enron"

公演:Headlong Theatre, Chichester Festival Theatre & Royal Court Theatre co-production
観劇日: 2010.2.15 19:30-22:10
劇場: Noel Coward Theatre

演出:Rupert Goold
脚本:Lucy Prebble
美術:Anthony Ward
ビデオ、映像:Jon Driscol
照明:Mark Henderson
音響、音楽:Adam Cook
振付:Scott Ambler

出演:
Samuel West (Jeffrey Skilling, CEO of Enron)
Amanda Drew (Claudia Roe)
Tom Goodman-Hill (Andy Fastow, CFO of Enron)
Tim Pigott-Smith (Ken Lay, Chairman of the Board of Enron)

☆☆☆☆ / 5

昨年Royal CourtやChichesterで大評判になり、ウエスト・エンドにトランスファーしてきた話題作である。最近発表になったオリヴィエ賞の候補作品としても複数部門でノミネートされている。私も大変期待して出かけたが、それ程大きなインパクトを感じなかった。私自身の好みや、劇の素材である経済問題に興味が持てないせいだろう。しかし、大変工夫の多い公演で、見た甲斐は大いにあった。

Enronは1990年代に大きく成長したアメリカのエネルギー会社。クリントン政権末期に躍進を始め、90年代を通じて、アメリカの好景気を象徴し、ブッシュ政権の自由主義政策下の規制緩和/撤廃を最大限に利用した会社のようである。Enronの創業者で、Chairman(会長)がKen Lay (Tim Pigott-Smith)。彼が抜擢したenfant terribleが、Samuel West演じるJeffery Skillingである。Skillingは、石油などのエネルギー開発と販売で地道に利益を上げることに飽きたらず、たたき上げの幹部Claudia Roe (Amanda Drew)を押しのけ、エネルギーを商品として、大豆やダイヤモンドのようにトレードする。また、インターネットやビデオ配信などの畑違いの分野に手を出す。更に、利益が上がることを当然の事と見せかけて会社を無理に拡大するが、実際は赤字続きで実体のない、ブランドだけを空売りする事態に陥っていた。その急場をしのいでくれたのが、CFO(Chief Financial Officer)のAndy Fastow (Tom Goodman-Hill)。赤字を食い尽くす為だけに存在するダミー会社を幾重にも作り出して、本体のEnronを延命させるが、しかし、それもやがて限界に至ることになる。更にそのEnronの幻想の繁栄を支えたのが、リーマンブラザースやJ P モーガン、クレディ・スイス他のアメリカや他国の大金融機関。Enronが時代の寵児から、一転して詐欺師に操られた会社と見られるまでに転落したのは、アメリカの金融界全体、いや、金融やエネルギーの規制緩和を進めて、野放図な金儲けをあたかも美徳のように賞揚したブッシュ政権とアメリカという国そのものの失墜であったのではないか、とそこまで考えさせる内容の脚本である。今、金融恐慌に端を発して、不況からなかなか立ち直れない米国の落とし穴は、既にEnronの倒産の時には明白に見えていた、とLucy Prebbleは言いたいのであろうか。

Rupert Gooldの演出は、こうした経済のからくりを、言葉だけの説明に陥って舞台が硬直化しないように、目まぐるしい程に様々の視覚的なイメージを駆使して表現する。例えば、赤字を粉飾するダミー会社を、恐竜のような爬虫類で表現し、その恐竜が借金をバリバリとむさぼり食ったり、ダミー会社を何重にもなった入れ子の箱で表したり等、工夫たっぷりだった。また、Gooldらしいビデオの多用も大変効果的であったが、特に、ステージの背景に株式市況の数字が映し出され、エンロンの株が刻々と上がったり下がったりして行く様が映し出されるのも上手い。歌や踊りもふんだんに使われ、映し出されるイメージと共に、半ばミュージカルのようでもあった。

そうした工夫に加えて、主な登場人物を演ずる俳優4人が、大変迫力ある名演。WestやPigott-Smith、Tom Goodman-Hillが、それぞれ、救いようのない皮相で、貪欲な人物を巧みに表現。Pigott-Smithがブッシュ・ジュニアによく似ていたと思ったのは私だけだろうか。Samuel Westは、最後に落ちぶれて牢獄に繋がれるにあたって、マクベス的内省と悲劇性を感じさせる言葉を放ち、劇を印象深く締めくくった。Amanda Drewは、男どもの成功とセックスの繋がりを感じさせるセクシュアルなイブであると共に、野心を持つダイナミックな女性重役を演じて、劇にふくらみを持たせた。

昨年見たDavid Hare脚本、Angus Jackson演出の"The Power of Yes"と比べると、イメージ、歌、踊りなどを多用して、説明的でなく、堅い素材を扱いながらも大変娯楽性に富んだ劇になったのは、Gooldの演出アイデアの豊かさ、秀逸さを裏付けている。これに比べると、HareとJacksonの作品は、不器用で説明的だったと言わざるを得ない。更に、Enronの倒産から時間が経ち、しかもイギリスという他国から見ているので、距離を置いて批判的に描けている点でも、脚本のPrebbleはHareより得をしている。ひとつの会社とか、数人の経済人のドラマというだけでなく、Enronの倒産に象徴された時代とアメリカ文化を痛烈に批判しているのだ。しかし、これは脚本の意図でもあるが、人物の掘り下げはあまり無く、LayやFastowなどは特に漫画的な軽薄さが目立った。そういう人物に踊らされたのだ、と言いたかったかもしれないが、見終わって見ると、喜劇的印象が強く残る公演だった。

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿