Ian McEwan, "Saturday" (2005; Anchor Books, 2006) 289頁
☆☆☆☆☆ / 5
McEwanは憎い程上手く書く作家。読者が強く引き込まれる要所を心得ていて、そこをまるで指圧師のようにぐいぐい抑える感じである。それで、文体とか、語り口に特に強い癖がなくて、どんな人にでも受け入れられそうな感じ。従って、シリアス・ノベルの重さがそれ程ない。ベストセラーになったり、映画になったりするはずだ。
このお話は、ある一流の成功した脳外科医(a neurosurgeon)、Henry Perowneの土曜日を一人称の語りで克明に描いている。短い期間に起こったことを、作者の内面を通して描くから、シーンによっては、ちょっとVirginia Woolfのようなところもある。この日、彼は早朝、飛行機が火を噴いて墜ちていく夢とも現実とも言えないようなシーンを、自宅の窓から目撃して目を覚ます(あとで分かったのだが、これは現実だったのだが、しかし大事故には至らなかった)。その幻想のようなシーンを反芻していると、毎日明け方まで起きている才能豊かないブルース・ミュージシャンの息子Theoとキッチンで話し込む。今日は長らく会っていなかった若い詩人の娘Daisyが帰宅する日。しかも、彼女とひどい仲違いをしている義理の父(妻Rosalindの父親で詩人のJohn Grammaticus)が彼の家で夕食を共にすることになっていて、一家の和解のための重大な機会なのである。彼は夕食の買い物をして、その料理を作る担当。弁護士の妻は仕事で外出し、夕方に帰宅予定。彼は買い物や料理の前に、まず同僚のアメリカ人麻酔医Jay Straussと恒例になっているラケットボールの練習をすることになっているし、また、アルツハイマーで施設に入っている母親を訪ねる予定でもある。平凡だけど、でも、彼にとっても家族にとっても重要な一日の幕が開く。まず彼はラケットボールをしに車に乗って出かけるのだが、丁度イラク戦争への抗議デモに出会い、迂回をするよう支持される。しかし、警官に頼んで、通してもらうと、その先で、彼の車が出てくるのを予測してなかった別の車と軽く接触し、相手の車に傷をつけてしまう。そして、その車から出てきたのが、見るからにギャングと分かる3人組だったから大変。でも、相手のすきに乗じて、その場は何とか逃げおおせ、ラケットボールをし、母親と面会し、買い物や料理をして、家族が帰ってくるのを待つのだが、その土曜日が平和に幕を下ろすことはなかった・・・。
豊かで、才能溢れるミドルクラスの一家。その家族の平和な暮らしと、3人組ギャングの1人で、完治出来ない困難な遺伝病を患っている孤独な男、Baxterの人生が交錯する。物語の背景には、9/11を想起させる飛行機の事故、また、間近に迫るイラク戦争開戦の緊迫した世情がちらほらと見える。発想が巧みという他ない。天才とまでは言えなくても、並外れた才能を持った息子と娘、やり手の弁護士の妻、イギリスの現代詩を代表する詩人という設定の義父、自分も敏腕の脳外科医、という一家の話で、前半では、ここまで揃えなくてもと、ちょっと嫌みな印象も持ったが、こういう一家と、孤独な、難病持ちのBaxterを掛け合わせることにより、終盤、ぐっと全体が締まった。
如何に素晴らしい生活を送っているように見えても、現代人の日常には、常に不安が潜んでいる。しかし、作者は、そうした不安を乗り越える理性の力、夫婦や親子の愛、そして、他者に対するヒューマニズムを提示しているように見える。
大変楽しめる、緊迫感触れる小説。小説の技術や描かれる社会的背景などにも考えさせることが沢山ある。キャラクターも皆魅力的。ただ、癖がなくて、ケチのつけようがないところが、いまひとつ物足りないと言えるかも(これを、難癖をつける、と言うんですね)。
翻訳は:
イアン・マキューアン /小山太一、訳、『土曜日』(新潮社、2007)
0 件のコメント:
コメントを投稿