2011/08/18

『二重被爆ー語り部 山口彊の遺言』を見て、原発について思う

16日夜に見た標記のドキュメンタリーの最後、制作者などのクレジットが出て、これで終わりかな、と思っていたら、今回稲塚監督が付け加えられた山口彊さんのインタビューの一部が映写された。そこで、山口さんは、全ての原子力は人間には最終的に制御出来ないのであり、廃絶しなければいけない、という意図のことを言っておられる。山口さんは、広島と長崎で二重被爆をされ、一生後遺症に苦しまれただけでなく、息子さんを60歳で癌で亡くされた。更に、エンジニアとして働かれていた彼は、原爆だけでなく、原発の危険性を強く感じておられたのではないか。

今、福島原発の事故、そして放射能汚染の問題がいつ終息するとも分からない状況の中、全ての原発を廃止すべき、という声も高まっている。一方で、原発に頼る市町村、電力を消費し操業する経済界、多くの地元中小企業や商店、そしてそこで働く市民と家族にとっては、原発廃止は危険で無責任な夢物語と見えるかもしれない。地震直後のように電力不足で停電をしなければならない事態になれば、暑さ寒さで亡くなる老人も増え、医療など命に関わる現場にもトラブルが起きるかもしれない。そして、緊急に温暖化を防がなければならない、という地球規模の課題もある。それを覚悟しても私達の国は原発を止めることが出来るだろうか。

私は福島の問題が起きる前から原発には個人的には反対で、止めて欲しいとは思っていたが、もともと政治に関わる話をする人間ではないので、それを特に誰かに言ったりしたことはない。日本が国として原発を止められるとは思っていなかったし、今も、上に書いたようなこともあり、その点では大変悲観的だ。ペシミストの私の思う原子力発電の未来はこんな感じになる。今日本には原発が54基あるそうだが、もし福島の事故が起こらなければ、これからもどんどん増え、又海外にも次々に輸出したことだろう。温暖化の問題を考えると、そう遠くないうちに100基代に近づいたのではないだろうか。数年ごとにかなり大きな地震が起こる日本であるから、大小の地震はあったにも関わらずフクシマのような事故がこれまで起こらなかったのは、技術の優秀さ、地震対策の確かさなど、評価されて良いように思うが、しかし、今度ばかりはそれにも限界があることが分かった。こういう事が2度とないと誰が言い切れようか。いや、原発を保持すれば、第二のフクシマは遅かれ早かれやってくると思う。

発展し続けるアジア、特に中国やインドもこれからどんどん原発を作るに違いない。中国人口の多数が日本のような、ミドルクラスの大量消費生活をするようになれば、中国には何百という原発が作られるのではないか。インドも同様だ。両国とも政情には不安定要因があり、テロや争乱も起きている。地震や大洪水に見舞われやすい地域もある。勿論、厳しい安全対策は講じるだろうが、これらの、そして他の多くの国々で、何百という原発が世界中で操業し、老朽化し、あるいは天災や人災で大小の事故を起こす時代、原発や核廃棄物格納施設がテロによって爆破されたり、おそらく原発が戦場のど真ん中に存在したりする時代、それがこれから50年100年先の地球であることは目に見えているのではないだろうか。仮に北欧や日本などで脱原発をしたとしても、他の様々な国や地域で放射能汚染が頻発し、多くの子供が小児癌などで死んでいくが、それをある程度世界の日常として受け止める時代が来る気がするが、違うだろうか。

一方、温暖化も止まるところを知らない勢いだし、国際公約を果たすためにもCO2の削減も厳しい状況だ。原発なくして、それは可能なのか。

今日本は半分程度の原発を休止したまま何とか生き延びている。経済は停滞し、経済の素人の私から見ても、将来の展望も暗いように見える。現在程度の豊かさの国民生活を維持し、高齢化の中で医療や福祉、教育、年金等の公的サービスを守り、また蓄積した国や地方の借り入れを返済するためには、おそらく何とか経済成長を取り戻さないといけない。その為には、エネルギーが必要なのは言う迄もない。化石燃料の使用は増やせず、自然エネルギーには飛躍的な伸びは期待できないとして、原子力以外に一体何があるのか。原子力発電を止めることは、日本経済が坂を転げ落ちるように滅び始める時、と言われる識者も多いだろう。そうすれば、医療や福祉の土台も崩壊し、老人医療や、子供の教育にも甚大な影響が出るだろう。それでも良いと言えるのだろうか。

山口さんだったらどうおっしゃるだろう。あるいは、今80歳を超える世代、広島・長崎の被爆者ならずとも、焼け跡の街で腹をすかしつつ、新しい一歩を踏み出した方々はどう思われるだろうか。

温暖化を防止し、そして脱原発を同時に進める----経済学者じゃないから分からないけれど、その為には少なくとも経済成長を前提とせず、無成長でサバイバルする覚悟が必要な気がする。しかし、その代わりとして失うものも甚大であるから、フクシマで起こったようなリスクを一定程度覚悟で原発と共存しようという決断もあり得るだろう。日本人ひとりひとりが大きな選択を迫られる時代にさしかかった。しかし日本人の決断の如何に関わらず、地球は原発だらけになるのは目に見えていて、原発事故は大規模航空機事故なみには起こる時代は必ずやってくると思える。他国の原発事故による放射能に苦しむ国も多くなるだろう。そう考えると、正直言ってどっちに転んでも同じかという、やけくそな気分になりそうだが、それでも私は日本は原発を止めて欲しい。

今、もし脱原発に舵を切らない場合、来年かも知れないし、50年以上後かも知れないが、第2、第3のフクシマがやってくるのは時間の問題と思う。その時、日本人はどう決断するだろうか。仮にフクシマ以上の大事故が起こって、国民世論が圧倒的に原発廃止を支持しても、その時には原発を止めることは出来ないのではないか。増殖する癌をまだ割合小さい時に切除しなければ、次の重大事故が起こってからでは遅すぎるかも知れない。巨大化した癌を取れば国全体が死んでしまう状況である可能性大だ。例を挙げれば文化大国の顔をしているフランス、素人考えであるが、現在でも総エネルギー使用量の75パーセント前後を原発に頼るあの国は、今後おそらくそう望むことがあっても脱原発にはもう遅すぎる。既に原子力中毒で、癌を切除すると死んでしまう重症患者、原発中毒症、と言えるだろう。日本にはそうなって欲しくないものだ。それとも既にそうなっているのだろうか。

昔の同僚に、あなたはいつも悲観的な事ばかり言う、と職場で叱られたものだが、今の私の杞憂がお笑いぐさであって欲しいものだ。さて、次からは演劇のことでも書こう。

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