2011/08/12

"Loyalty" (Hampstead Theatre, 2011.8.5)

イラク戦争開戦の前後をブレアー首相側近の家庭を通して描く
"Loyalty"





Hampstead Theatre公演
観劇日:2011.8.5  15:00-17:00
劇場:Hampstead Theatre

演出:Edward Hall
脚本:Sarah Helm
セット:Francis O'Connor
照明:Ben Ormerod
音響:Paul Groothuis
衣装:Caroline Hughes

出演:
Maxine (Laura)
Loyd Owen (Nick, Laura's partner and Tony's chief of staff)
Anna Koval (Marisia, their baby sitter)
Patrick Baladi (Tony, Prime Minister)
Stephen Critchlow (Tom, a bureaucrat at Prime Minister's office)
Colin Stinton (James, a former director of CIA)
Michael Simkins (C. a head of British intelligence service)
最後の二人は他にも背景に流れる声で、アナン国連事務総長他、色々な役を演じる。

☆☆☆☆ / 5

大分前に劇場からチラシを送ってきてすぐ切符を買ったが、公演が始まるとあまり評判が良くない。Sarah Helmはジャーナリストとしてかなりのキャリアを持つ人だが、劇作はこれが初めてなので、やはり慣れないことは難しいのか、と思いつつ出かけた。しかし、嬉しいことに予想を裏切って、私にとっては大変面白い公演だった。私はもともとこういう"the state of the nation play"(国家の状況を表現する政治劇)が大好きである。このジャンルの作品で、典型的なのは、David Hareの作品であるが、この劇はHareの傑作、"Stuff Happens"と同じトピックを扱っている。"Stuff Happens"はNationalのOlivierの巨大なステージをたくさんの役者で一杯にして、英米の実名の政治家の台詞によりイラク戦争開戦を分析する大変スケールの大きい意欲作であったが、Hamstead Theatreという小劇場で上演されたこの作品は、ずっと慎ましい。当時の首相Tony Blairの側近、Nickと、彼と同居し子供も居るパートナーのLauraの目を通して、Tony Blairが開戦(2003年3月20日)の直前、どう考え、そしてその後、WMD (Weapons of Mass Destruction、原爆や化学兵器などの大量破壊兵器)が発見されないとはっきりした時に、どのようにそれを糊塗したかを、親密な視点から描く。

描かれていることは既に大抵の日本人でも知っていることである。健忘症の私は忘れかけていた。ブッシュ政権は何とかしてイラク侵攻を始めたくてうずうずしていて、その為にはどんな些細な、出所の怪しい情報でさえも使う。大統領自身は、ラムズフェルドやチェイニーなどの強硬派の言うなりで主体性がない。ブレアーは、何とか多くの国を巻き込み、国連の承認を得て開戦したいと思って奔走する。その国連を説得するためには、イラクが密かにWMDを開発しているかどうかが鍵になっており、アメリカはそのことに間違いはないと言うが、どこにも証拠はない状態で開戦に踏み切る。

勿論、衆知のように、イラク政府の崩壊後、第三者機関による徹底的な調査が行われたがイラクのどこにもWMDは発見されなかった。結果的に、WMDがあるとしたCIAやペンタゴンのでっち上げでしかなかったわけである。

劇中の登場人物は全て実際にいた人物。Nickはブレアーの側近 (Chief of Staff) のJonathan Powell、そして彼のパートナーのLauraはこの劇を書いたSarah Helm自身である。であるから、演劇とは言えドキュメンタリー・ドラマであり、描かれていることのほとんどはHelmが実際に見聞きしたことであろう。

このドラマでは、激しい開戦反対のデモを背景に、ブレアーが国内世論とアメリカ政府の圧力の狭間にあって揺れ動く様子、そして、側近のNickがそのブレアーを忠実に支えようとしながらも、彼自身は内心戦争するだけの理由はないと思っていて、苦しむ様子などが描かれる。更に、NickのパートナーのLauraはリベラルなジャーナリスト出身の作家で、開戦には絶対反対の立場であり、Nickと激しく対立しつつ、自分が彼に持つ影響力を使って戦争をとめさせたいと考えている。そうした関係者同士のloyalty(忠誠、相手への誠実さ)、そして、それぞれの持っている信念に対する自分自身のloyaltyが試される様子が熱を帯びた台詞のやり取りで描かれる。個人と家庭の中での葛藤が、世界を揺るがす決断と連動する秀作。NickとLauraの台所や寝室、首相官邸の執務室などの狭い空間で、少数の人だけで繰り広げられる会話に、世界史の大きな動きが脈打っているところが面白い。

大きな政治の流れとしては、何か特別に新しい事が描かれるわけではないので、主要人物のキャラクターに劇の面白さが左右されると思うが、Lauraを演じたMaxine Peakeが素晴らしい。BBCの"Silk"や"The Secret Diaries of Miss Anne Lister"等のドラマで見てきたのだが、非常に力強い女優。強情な女性をやらせたらこの世代ではピカイチだ。マンチェスター郊外ボルトンの出身だが、はっきりした方言が小気味よい。舞台で見るのはこれが初めてだが、今年West Yorkshire Playhouseで、Terence Rattiganの"Deep Blue Sea"に主演したのは知っていた。リーズまで行けば良かった、と後悔!彼女は、テレビドラマでも演劇でも、はっきりとした社会的、あるいは政治的問題を含む作品を選んで出演しているように見える。そのチャレンジ精神が伝わる演技。

少ないであろう予算を効果的に使い、少人数で、電話の声でブッシュ大統領やアリステアー・キャンベル報道官、コフィー・アナン国連事務総長等を出演させたりして、枠を広げていた。しかし、やはり首相官邸のシーンでは少し登場人物が多ければ、とは思った。また、映像で開戦の様子その他を映し出すことは出来なかったのだろうか。多分、当然考えただろうが、予算の問題や、客席がステージを囲む形式のHampsteadの制約もあったのだろう。

結局、劇中でも現実でも、ブレアーはイラク戦争をしたことは間違っていなかったと言い続ける。この戦争によりフセイン政権下による甚だしい人権侵害やクルド人など少数民族の虐殺を止めさせたから、というのである。WMDがあるとしたのは口実でしかなかったわけだ。ブッシュやアメリカ政府幹部は、WMDがイラクにないのは分かっていたし、ブレアーもそうだろうと充分推測できる状態だった。それでも戦争は始まった。

ということで、内容は興味が持てた上、Maxine Peakeの力演に組み伏せられた公演だった。

褒めすぎかもしれないが、国の抱える最大の政治課題を首相などの実名を交えたドキュメンタリー・ドラマで解剖し、National TheatreやHamstead Theatreなど公的補助を受けている劇場で人気者のスターが主演して上演する、そういう事が出来るのがイギリスの演劇界。

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