2011/08/14

ロンドン暴動からチョーサーにさかのぼる:Magistrates' Courtsが24時間フル操業


(写真:Westminster Magistrates' Court)

ロンドン暴動の法的後始末が始まっている。店を壊して侵入し商品を盗んだりした人々が、法廷に呼び出され、早速刑を言い渡されている。イングランドとウェールズにおいて、こうした軽い犯罪を犯した人を裁くのがMagistrates' Coiurtと呼ばれる簡易裁判所。暴動の時に限らず、日頃から犯罪事件の大多数はこうした軽罪 (misdemeanor, minor offence、これに対し重大犯罪は、felony) であるのはどこの国でも同じであるが、イングランドにおいてはこれらの犯罪で6ヶ月以内の刑を受ける程度の犯罪については治安判事(Magistrate, 別名Justice of Peace、略してJP) による即決裁判となる。判事が警察官や証人、被告等から事情を聞いて、その場で刑を宣告したり、釈放したりする。暴動後数日間、Westminster Magistrates' Courtは、非常時のため、コンビニ並の24時間開廷をし、そしてこの週末もさすがに24時間ではないが夜まで開廷して、裁判を行っているそうだ。暴動に加わり物盗りをした人などはこれで収監される。ひどい怪我を負わせたりして、それ以上の刑になると判断された場合には、通常の刑事裁判所(Crown Court)に回される。その場合には、結果的にMagistrate's Courtが予備審問をしたという役割になる。このMagistratesという治安判事の多くは、無給のボランティア(必要経費は出る)で、選ばれるためには、大学や法曹学院などでの法律教育は必要とされていない(アマチュアのMagistratesの他に、プロの法律家で、法務省に雇われたDistrict Judgeという人達もいる)。但、判事になる前の3ヶ月の研修があり、実際の裁判においては知識と経験豊富な事務官のアドバイスなどあり、また、社会経験の豊かな地元のリタイアした有力者、人格者などが多く選ばれるようである。日本では、参審制の導入に伴い、英米の陪審員制度が、司法における市民参加として広く知られるようになったが、このMagistrates' Courtも同じくらい重要な市民の司法参加である。イングランドの民主主義は、立法府の議員選出における市民の役割と共に、こうした司法における市民参加が重大な柱として欠かせないものになっている。「お上」意識が強く、弁護士や職業裁判官などの「先生」と尊称される専門家を非常にありがたがる日本人には、なかなか理解しがたい制度かも知れない。しかし、これはイギリスの長い民主主義の成立の歴史の中で定着した制度である。

このMagistrateという役割の源は、12世紀のRichard Iの治世にさかのぼることが出来るようだが、制度として確立したのは14世紀前半、Edward IIIの治世である。従ってチョーサーの生きた時代には広く行き渡っていて、『カンタベリー物語』でも出て来る。巡礼のひとりに地主(Franklin, 「郷士」とも訳されている)がおり、彼は金持ちの大地主で、客にいつもふんだんに食事をもてなして気前の良さを見せている。序歌(The General Prologue) での彼の紹介において、チョーサーは次の様に述べる:

At sessiouns* ther was he lord and sire.     (judicial sessions)
Ful oft time he was knyght of the shire.
  . . . . .
A shirreve* had he been, and contour*.    (sheriff / auditor)
Was nowher switch a worthy vavasour*.   (land-holder)
(General Prologue, ll. 355-56, 359-60)

(拙訳)
彼は法廷では裁判官をつとめた。
しばしば彼は国会議員であった。
・・・・
彼は州の代官や会計監査をしたこともあった。
どこにも彼ほど立派な地主は居なかった。

このように、この地主 (Franklin) は大変立派な地域の有力者で、色々と役職をやっている。Knight of the Shireというのは、今で言うところの国会議員、 Member of Parliament (MP)、である。彼は"sessiouns"でlordとかsir、つまり指導者を務めると書いてあるが、このsessionsとは、judicial sessions、つまり裁判のこと。しかし、訓練を積んだ正式の弁護士や裁判官はこの時代既に沢山いたが、彼はそういう人ではなく、法律のアマチュアであるので、治安判事(Magistrate)の役を務めたと仮定できる。詩人チョーサー自身も、本業は税官吏などの公務員であったが、その一方で治安判事を務めたのは、多くの方がご存じだろう。また彼はケント州の国会議員を務めてもおり、従って、このFranklinの背景には自分の経験がかなり重なっていたことと想像できる。飲み食いやもてなしが大好きなこのエピキュリアンの地主の性格は、富裕なワイン商人の家の出身で、残っている写本にある肖像によると、中年太りしてお腹が出ているチョーサーにぴったりである。

更に引用に"shirreve"(今の英語で、"sheriff")とあるが、これはイングランドの州 (shire, county) の長官である。これは中世前半のアングロ・サクソン時代からある国の役職 (royal official) であるが、今のアメリカの州知事とか日本の県知事のような公務員とは違い、もともと各州に住んでいる地元の有力なジェントリーや地主などの間から王室が任命した人達である。こうした州の代官(州長官とも訳される)は、徴税などの行政事務も担当するが、治安維持も重要な仕事で、日本の代官と似て、それぞれ裁判を行い、犯罪を罰したり、市民間の争いを裁定したりした。従って、引用中の"sessiouns"にも、そういう意味もあるかも知れない。この州の代官という仕事(sheriff)については今のところ私はは良く知らないのだが、これから色々と時間をかけて勉強したいと思っているテーマである。というのは、文学にもかなり関係しているから。日本人にもお馴染みのロビン・フッド伝説で出てくるノッティンガムの悪代官は子供向きの本や、ケビン・コスナー主演の映画などで知っている人も多いだろう。ロビン・フッド伝説は中世末から近代初期にかけて多く書かれ、その後も大衆文化に定着したイギリスの義賊の話であるが、このように代官が悪役にされている。同様に、代官の腐敗、あるいは王権との摩擦はしばしば他の中世の文献でも諷刺されている。

なお、sheriffという役職は、米国の保安官の他にも英語圏の各国で今も残っており、イングランドでも"High Sheriff"という儀式などに登場する役割として存在するようだし、スコットランドでは、Magistrates' Courtsの上に位置する裁判所がSheriff Courtsであり、この場合のsheriffは法曹教育を受けたプロフェッショナルで、多くの犯罪における第一審の役割を果たすとのことだ。

courtやlegal court(法廷)と言っても、今と違いその為に専用として使われる立派な建物を指すことはほとんどない。また、そういう建物は中世はほとんど無かった。裁判は野外の広い場所で行われることもあり、また、多くはギルド・ホール(今の市庁舎)の広間のような多目的に使われる広間で行われた。中世や近代初期においては、思い出すのも難しいくらい様々な種類の裁判が存在したが、職業的な法律家によって常設的に開かれるのは首都の王室裁判所(The Court of King's Bench, The Court of Common Pleas, The Court of Exchequer等)くらいで、他の各種の裁判は年に数回とか、月1回など開かれ、数日間続く、といったものが多かった。

14世紀に出来た市民の裁判官による裁判所が、未だに数の上ではほとんどの犯罪を裁いているのがイギリスの司法制度であり、これに重罪を裁く上級刑事裁判所、Crown Courtsでの陪審員制度を加えれば、如何にイギリスの司法に市民が密接に関与しているかが実感される。

(追記)速やかな正義の実現をという世論に押されて、Magistrates' Courtsをフル回転して、暴動に関わった被告を裁くことについては、あまりに性急すぎて、充分な吟味が出来ていない恐れがあるとの声がLaw Society(事務弁護士[solicitors]の団体)から上がっている。裁判官や事務官が夜も寝ずに審理を続けるなんてとんでもないことだ。被告自身も、ちゃんと考えた申し開きが出来にくいし、弁護士も疲労困憊することだろう。軽い刑の判決とは言え、前科がつき、仕事を辞めて刑務所に入れば、被告の人生は大きく違ってくる。日頃と同じだけの時間と慎重さをもって審理して欲しいものだ。これついてはこちらの記事参照。

(お断り:私は、法学や法制史の素人ですから、間違いがある可能性も高いので、鵜呑みにしないで下さい。もし、間違いやMagistrates' Courts、中・近世イングランドの裁判制度等について付け加えて下さることなどあれば、コメント欄でお教えいただければ幸いです。)

0 件のコメント:

コメントを投稿