この本の主眼は、中世末期のラテン語教育、特にグラマースクールでの初歩的な語学教育やそれに相当する個人教授などが、14世紀の主な英文学の詩人たち(チョーサー、ラングランド、ガワー等)に大きな影響を与えているということの証明だ。その前提として、1〜3章では詳しく中世イングランドのラテン語教育について、多くの歴史家の論文や一次資料を引きながら解説してくれる(すべてのラテン語やフランス語の引用には、単語も含めて現代英語の翻訳がつき、また中英語の引用にも、訳や語注がついていて、予備知識の無い者でも読めるようになっている)。この部分は大変具体的に述べられていて、大変面白かった。中世のラテン語教育はもちろん、そもそもラテン語について初歩的なことしか知らない私には、かなり猫に小判ではあるが、ラテン語がかなり出来る方は、私以上に良く理解出来て、面白いだろうと想像する。特に印象に残ったのは、13世紀頃までの初歩ラテン語教育が、主にラテン語だけで教えられていたらしいことだ。現代の英語教育の語彙で言うと、所謂 direct method であり、grammar-translation method では無かったようだ。当時のラテン語の初等文法の教科書は易しいラテン語で書かれていて、所々英語は使われているが、ラテン語の屈折形などを説明するための例として使用されている(これは、今の英米の初頭ラテン語の本でも同じで、例えば、そもそも文法の概念を知らない生徒・学生に「主格」とか「属格」を説明するために、’I'、’my’ の例を挙げてあったりする)。
さて、ラテン語教育がどのように中英語文学に影響を与えているかの論議は、かなり難しいし、一部納得しづらい部分もあるが、刺激的な議論であることは間違いない。基本的に、今昔を問わず、ラテン語であろうと他の言語であろうと、多くの語学教育は先生が質問して生徒が答えることをベースにした対話(ダイアローグ)で成り立っている(Aelfricの ‘Colloquy’ が想い出される)。そのような口頭でのやり取りのモデルが、チョーサー作品などで、それぞれの詩人によって様々な変奏を加えられつつも、広く使われているとCanonは論じている。確かに、中世の、つまり写本をベースとした、文学は、口頭での読者/聴衆とのやり取りを前提として書かれ、作者は度々読者に直接呼びかける。このようなスタイルは、grammar school の教授法とどの程度関連を持っているのだろうか。
Canonが解説してくれるように、13世紀頃までのラテン語教育は、ラテン語文法をやさしいラテン語で教えるという direct method 中心で教えられていたのだろう。それが15世紀が終わる頃には、文法を英語で説明し、またラテン語の文章を英語に訳すという、grammar-translation method へと変わっていたことと思う。そうすると、チョーサーや彼の同時代の大詩人達が詩作に手を染めた頃は、教育方法の過渡期と言えるだろう。ラテン語だけの教室から、徐々に英語を使うようになる中で、教材として読んだラテン語の詩が彼らがラテン語の詩を書くのではなく、英語の詩の創作を始めるにあたり、先生とのやり取りや英訳の手続きに多くの影響を受けたとCanonは考えているようだ(まだ読んでいる途中ですけど)。
Canonの議論は大変精緻であるが、しかし、ラテン語が充分に分からないこともあり、私には難しすぎる部分が多い。
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