「博士号取得への長い道のり」と題した3回の記事の中で、大事なことでありながらほとんど触れなかったのは、経済的な問題です。最後に、プライベートな事は控えつつも、少し書いておきましょう。私は全額私費のEU以外の留学生としてケント大学の大学院生となりましたので、もの凄くお金がかかりました。子供がいなかったので留学が可能になったのですが、それでも私と妻の老後の計画はすっかり様変わりしてしまいました。
結論から言うと、私自身は何とか修了できましたが、かなりの額の奨学金か、余程の家産が無い限り、私のようなことは絶対にやってはいけないと思います。英米の大学の授業料が高騰した今は尚更です(ケント大学の授業料も、私が始めた頃のほぼ倍になりました)。私も当時はまだあったが今は廃止になったイギリス政府による博士課程学生用奨学金(Overseas Research Student Award Scheme)と、ケント大学独自の奨学金に応募しました。修士で一番良い成績、distinction、を取ったので可能性はあると思ったのですが、どちらの奨学金も不合格でした。今思うと、そこで入学を諦めておけば良かったと思います。実際、イギリスの大学では、人文科学系でも奨学金が取れる場合に限り博士課程に行くという人が少なくありません。いやイギリス人の場合、大多数がそれでしょう。ケント大学で私が所属した中世・近代初期研究センター博士課程の学生の半分以上、恐らく7,8割は、授業料と生活費のかなりの部分をカバーする奨学金や授業料免除を受けていたと思われます。友達が全くいなかったので、聞くチャンスがありませんでしたが、奨学金を全く貰ってないイギリス人のフルタイム学生などほとんどいなかったのではないかと思います。更に、パートタイムの学生、奨学金を受けられなかった学生、あるいは奨学金の支給期限を過ぎて(つまり、普通3年以上)在籍する学生の多くはTAとして授業を担当し、生活費の足しにしているようです。しかし、私の所属部門、つまり中世文学や中世史分野でそれが出来るのはイギリス国内や英語圏からの留学生、一部の非常に優秀なヨーロッパの留学生のみでした(他の専門では、留学生がTAを勤めるのは良く見られます)。実際、TAをやるかと聞かれても、VIVAの受け答えですら覚束ない私には到底無理ですね。それに、留学生は、大学にとって、私費で高額の授業料を払ってくれる貴重なお客さんなので、国や大学の奨学金を出してまで入学して欲しくはないでしょう。
今考えると、私は奨学金が受けられないと分かった時点で日本国内の大学院の課程博士か論文博士を目ざすべきでした。そうすれば幾らか非常勤講師などのアルバイトも出来るし、そもそも、日本の住居を維持しつつイギリスでの滞在費等に莫大なお金を使う必要も無かったでしょう。大学の授業料も、特に国公立大学では日本のほうが遙かに安く、また、博士号も、ケント大学で費やした10年弱よりかなり早く取れたと思います。途中、短期間、学会やセミナーなどに出席するためにイギリスに勉強に行くことも可能だったでしょう。確かに専門分野の研究をリードしてきたスーパーバイザーやエクザミナーに論文を読んで指導して貰えたことは光栄であり、大変な励みになりました。しかし、払った代価は、率直に言って大き過ぎたと思います。
更に今になって思うのですが、現在の人文科学系のアカデミアにおいては、少なくとも必要額の半分以上をカバーできるくらいの国内外の奨学金を取ることが出来るような真に才能ある方だけが、短期間(3~4年)で論文を提出でき、更にその後に待っている厳しい就職戦線や研究競争を生き残っていけます。若い方で、家族の援助などを得て自費で留学し、私のように10年近く学位取得に要して年齢も高くなり、恐らく学生支援機構や銀行の学資ローンなどの借金も残る状態で、非常勤専業の教員などになったら大変です。まして、一部の方のように、研究上の問題や資金が尽きたなどの理由で退学をする、あるいは退学勧告を受けたり、M. Philに格下げになってしまったら、取り返しがつきません。何とか留学しようと奨学金に応募し続けて何年も頑張る方もおられるようですが、その間にさっさと国内の大学で博士号を取り、就職活動を始める方が良いと思います。
私はと言えば、最初にボタンを掛け違えたままこの長く高価な旅に乗り出してしまいました。途中で辞めれば良かったと思います。今考えると、奨学金を得られなかった時にすぐ方向転換をするか、あるいは「あと( )年だけやって、駄目なら退学しよう」、といった具体的計画を立て、家族や友人にもそう宣言すれば良かった、と思います。でも、いざ辞めるとなるとそれはまた非常に大きな精神的エネルギーの要ることです。関西のM先生のように大変親切な先輩も、親しい2,3人の友人も、私の試みを励まし続けてくれました。そうすると辞めようと思っていても決心が鈍るのです。5年経った頃からは常に辞めるか否か迷ってはいましたが、決断できませんでした。
一般論として、人間、後悔ばかりしていたのでは素直に生きていけず、劣等感の塊になってしまいます。過去を出来るだけ肯定し、失敗は大きくても、得られた満足感をかき集め反芻しつつ未来へと向かわなければ鬱になってしまいます。私も今、他人と話すときは、「やるべきじゃなかった」なんて言ってその場を白けさせるよりも、「留学して良かった」と言います。但、本音はどうなのか、自分自身分かりません。まあでも卒業式に出てとても嬉しかっし、何より老いた両親がとても喜んでくれたので、やっぱり良かったのかな。他人には勧めませんけど。
博士論文に関するエントリーもこれで最後とします。この一週間、この一連のブログを書くのに随分時間を使ったけど、色々な事を思いだせて良かったです。
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