2011/05/27

Henrik Ibsen, "Little Eyolf" (Jermin Street Theatre, 2011.5.25)

オーセンテッィクな演出のイプセン作品
"Little Eyolf"

観劇日:2011.05.25  19:30-20:40
劇場:Jermin Street Theatre

演出:Anthony Biggs
脚本:Henrik Ibsen
翻訳:Michael Meyer
セット:Fabrice Serafino
照明:David W. Kidd
音響:Phil Hewitt

出演:
Imogen Stubbs (Rita Allmers)
Jonathan Cullen (Alfred Allmers, Rita's husband)
Nadine Lewington (Asta Allmers, Alfred's half sister)
Robin Pearce (Borgheim, road-work engineer)
Doreen Mantle (Rat wife)
Finn Bennett (Little Eyolf, Rita & Alfred's son)

Henrik Ibsenの1894年の作品。大変地味な内容で、上演されることは少ない作品のようだ。日本では、1999年に故安西徹雄演出で劇団円が「小さなエイヨルフ」の題名で上演している。今回の上演は、ノルウェー大使館が協賛しているようでもあり、奇をてらわないオーセンティックな演出や演技でこの珍しい劇の上演を見ることが出来たのは良かった。この劇は、National Theatreが2009年にMarianne Elliot演出、Samuel Adamson翻案で、"Mrs Affleck"と題して、大幅に改作された翻案作品の上演をしているが、批評家達からは酷評された。私自身も見たが、私の好きなClaire Skinner主演にもかかわらず、かなり落胆したのを記憶している。今回は何も奇抜なことはなく、台本そのままの素直な公演だと思った。

Rita Allmersと夫のAlfredには子供Eyolfがいるが、夫婦仲はかなり冷えている。Eyolfは以前に事故で足が不自由になって、松葉杖をついているが、夫婦は息子がこうなったことに罪の意識を感じている。夫は著作の事で頭が一杯だったり、長い間旅行で不在だったりしている。一方、Ritaはその夫の真剣な愛を求めているが得られず、Eyolfにも充分注意が行き届いていない。劇が始まった時、Alfredは長い間山間部の旅行をして帰ってきたところ。夫婦の再会の喜びも直ぐに消え、子供の世話などについて、2人は互いを責め始める。Alfredには父の後妻の子で、近くの町に住む美しいAstaという腹違いの妹がおり、精神的に彼女に大変頼っていて、これがRitaのジェラシーをかき立てている。Astaには、技師のBorgheimという人の良い求愛者がいるが、彼女もAlfredを密かに愛しているようで、この家から離れられない。

この家に、ネズミ退治を仕事にし、奇妙な犬を連れて町々を放浪して歩く老婆、Rat wife、がやってきて、仕事はないか尋ねるが、2人は、ねずみには困っていないと言う。しかし、息子のEyolfはこの老婆に恐怖と魅力の入り交じったような気持ちを感じたように見える。Rat wifeが去った後、Eyolfも直ぐに居なくなる。やがて、Eyolfの杖が海辺で発見され、彼が海で溺れたのが明らかになる(死体は発見されない)。これにより、両親は自分達を責め、お互いを責めて、夫婦の崩壊は決定的となる。Alfredは一層Astaに頼るようにもなる。

最後の第3幕において、息子の死によってどん底を経験した2人は、Eyolfの居なくなった隙間を、貧しい子供達への世話で埋めようと決心する。また、それにより、夫婦間の溝を埋めようという気持ちにもなっていく。一方、Ritaは常に彼女を慕い続けてくれるBorgheimと共に去っていく。

この公演は、劇評に大きな落差があり、Daily TelegraphのCharles Spencerは4つ星、GuardianのLyn Gardnerは2つ星。ウェッブの劇評やブログも、絶賛している人も、退屈だという人もいる。ひとつには、イプセンのテキスト自体への評価、そして主役であり、大スターでもあるImogen Stubbsの演技の評価が大きく分かれているためのようだ。大ベテランで著名な劇評家でさえ、彼女の演技がこの公演の強みという人(Spencer)と、彼女の演技を大げさな演技として酷評する人(Gardner)といるということは、俳優の演技を判断するのが如何に難しいか、また見るものの好みで如何に左右されるかを示していて興味深い。私は、やはりちょっと大げさで不器用な感じはしたが、暗い内容の物語なのでそれなりにふさわしい演技とも思えた。ただ、もっと他の人だったら、しっとりとした内面の悲しみを表現できたかもしれないが、やや騒々しい感じがしたあたりに、彼女の演技の限界があるのだろうか。一方、Astaを演じたNadine Lewingtonは静かな悲しみをこらえる表情の演技で、2人の女性のコントラストがはっきりしていたのは演出家の意図だろう。Michael Cullenは、National Theatreで主演をしたこともある ("Love the Sinner") ベテランの舞台人で、台詞は上手だと思うが、大変地味な雰囲気を持つ人で、自分勝手な文筆家のAlfredが、生真面目な役人か牧師みたいに見えてしまったのが少し残念。

デザインは壁の色を青緑色に塗っただけだし、衣装もお粗末、照明や音楽でも大した工夫が感じられず、そういう点でお金がかかっていないのがよく分かる。Jermin Street TheatreはArt Councilの補助金も貰ってないようだ。ノルウェーのフィヨルドに近い豊かなお屋敷の話。フォークロアの要素もあり、子供が海に沈んでいくなど、幻想的な面も感じる。台詞や演技以外で、そうした北欧の雰囲気作りがしっかり出来ていれば、もっと説得力を持ち得たに違いないと思い、惜しまれる。

子供を引きつけるRat-wifeとは何者か。イプセンは中世以来存在する「ハーメルンの笛吹き男」の伝説にヒントを得ているように見える。更に、根本的な点では、死の象徴とも言えるかも知れない。美術や文学でしばしば見られる擬人化された寓意的な「死」(Death)の類型と言って良いのではないか。Rat-wifeを演じたDoreen Mantleは充分不吉な雰囲気はかもし出せていた。非キリスト教的な超自然の運命的魔力を描き、またフォークロアに関心を示すのは、19世紀末の作家にしばしば見られる。イプセンもそういう流れでも捉えられる。そうした要素や、女性への共感など、Thomas Hardyと共通する点が多いのは興味深い。

この公演は、パンフレットによるとノルウェー大使館が協賛しているようであるが、私の斜め前に座っていた数人の人達から、Mr Ambassadorという声が聞こえてきた。もしかしたら大使が見に来られていたのかも知れない。

写真は、Jermin Street Theatre入り口。ピカデリー・サーカスの直ぐそば。Regent StとJermin Stの交差するところから少し入ったところにあります。客席はフリンジの中でもかなり少ない方かと。100席より大分少ないでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿